・・・しかしまだ誰も Toyo Tomi Hide Yosi という風に書く人はないようである。しかし、そう書いてはいけないという絶対的な理由はないようである。いわゆるイニシアルでも、T. T. とだけでは、例えば自分と同番地の町内につい近頃まで・・・ 寺田寅彦 「KからQまで」
・・・ 数式で書き現わすと、この問題の分泌量Hがざっと H = H0 + A sin nt のような形で書き現わされその平均水準のH0がいつもKに近いという型の婦人であったように見えるのである。『徒然草』の「あやめふく頃」で思い出すのはベ・・・ 寺田寅彦 「五月の唯物観」
・・・と laugh についてもいろいろなおもしろい事実がある。laugh は (AS.)hlehhan から出たことになっているらしいが、この最初のhがとれて英語やドイツ語になり、そのhが「は」になり、それから「わ」になったと仮定するとどうやら・・・ 寺田寅彦 「言葉の不思議」
・・・B. H. Chamberlain : "Bash and the Japanese Epigram." Trans. Asiatic Soc. Jap. Reprint Vol.1 (1925), 91.Paul-Louis ・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
・・・ R. C. McLean, Nature, May 12, 1928, p. 749. H. Poincar, Letzte Gedanken の最初の論文「自然方則は変化するか」以上のルクレチウス紹介を書いた後に・・・ 寺田寅彦 「ルクレチウスと科学」
・・・彼等は全く動物の叡智を持つてる。その不可思議な独特の叡智によつて、彼等はボードレエルを嗅ぎつけ、ドストイェフスキイを嗅ぎつけ、象徴派の詩を嗅ぎつけ、自然主義の文学を嗅ぎつけた。しかし流石にその智慧だけでは、ニイチェを嗅ぎつけることが出来ない・・・ 萩原朔太郎 「ニイチェに就いての雑感」
・・・深い深い人間叡智と諸情感の動いてやまない美を予感する。なぜならば、人類の歴史は常に個人の限界をこえて前進するものである。文学の創造というものが真実人類的な美しい能動の作業であるならば文学に献身するというその人の本性によって、人類、社会が合理・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第九巻)」
・・・それを外部に示さずに耐えている態度に叡智があるという風に処していたことも分る。ゲーテが現実生活に処して行ったようなやりかたを鴎外は或る意味での屈伏であるとは見ず、その態度にならうことは、いつしか日本の鴎外にとっては非人間的な事情に対してなす・・・ 宮本百合子 「鴎外・漱石・藤村など」
・・・悧巧に、経済状態を考え、子等さえ過剰にしなければ、自分の情慾に、何のはじも感じないでよい、というような、物の考えかたを根本から立てなおす為、私共は、力のかぎり、あきらかな光明と、素朴な叡智とをのぞみ、求めて行かなければならないのです。平静に・・・ 宮本百合子 「男…は疲れている」
・・・ 少くとも、非常な場合に、結婚と同様な、一種の人格的飛躍で、その域に達し得るだけの叡智を持っていることだけは自信したいのです。 持ちたい、見たい、語り度い、という執念からは解脱したく、またすべきであると思わずにはいられません。 ・・・ 宮本百合子 「偶感一語」
出典:青空文庫