・・・えらい、えらくないは問題外である。ただ彼らの態度がこうだと云うまでに過ぎぬ。 この故に写生文家は自己の心的行動を叙する際にもやはり同一の筆法を用いる。彼らも喧嘩をするだろう。煩悶するだろう。泣くだろう。その平生を見れば毫も凡衆と異なると・・・ 夏目漱石 「写生文」
・・・そこで私は自分もどうかあんな風にえらくなってやって行きたいものと思ったのである。ところが私は医者は嫌いだ。どうか医者でなくて何か好い仕事がありそうなものと考えて日を送って居るうちに、ふと建築のことに思い当った。建築ならば衣食住の一つで世の中・・・ 夏目漱石 「処女作追懐談」
・・・「しかし世の中も何だね、君、豆腐屋がえらくなるようなら、自然えらい者が豆腐屋になる訳だね」「えらい者た、どんな者だい」「えらい者って云うのは、何さ。例えば華族とか金持とか云うものさ」と碌さんはすぐ様えらい者を説明してしまう。・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・ところが一つえらくないことがあるんだ。何でも何代目かの人が、君に裏切りとかをしたということだ。家の紋は井桁の中に菊の紋だ。今あのへんを喜久井町というのは、僕の父親がつけたので、家の紋から、菊井を喜久井とかえたのだそうな。こんなことはそうさな・・・ 夏目漱石 「僕の昔」
・・・ (我が輩かつていえらく、打候聴候は察病にもっとも大切なるものなれども、医師の聴機穎敏ならずして必ず遺漏あるべきなれば、この法を研究するには、盲人の音学に精 ひとり医学のみならず、理学なり、また文学なり、学者をして閑を得せしめ、また・・・ 福沢諭吉 「学問の独立」
・・・このなかで、いちばんえらくなくて、ばかで、めちゃくちゃで、てんでなっていなくて、あたまのつぶれたようなやつが、いちばんえらいのだ。」 どんぐりは、しいんとしてしまいました。それはそれはしいんとして、堅まってしまいました。 そこで山猫・・・ 宮沢賢治 「どんぐりと山猫」
・・・時間がえらくかかる。その上前売切符を売る時間が、まちまちだ。そうかと云って、其日では、手に入らない。誰かから、国立第一オペラ舞踊劇場の後に、まとめて各劇場の前売切符を売ってるところがあるってことをきいた。行って見ると、成程ある。狭い入口の外・・・ 宮本百合子 「ソヴェトの芝居」
・・・ ――ソヴェトのプロ文士の喧嘩もあんな工合なんですか。えらく荒っぽいことがすきと見えるね。 自分は返事に困った。だって、プロ文士と云ったって、所謂社会主義だって国家主義から共産主義までの間に種々雑多な日和見主義、民主主義がはさまって・・・ 宮本百合子 「ニッポン三週間」
・・・私はそんなにえらくはない。しかし私の事は姑く措くとして、君は果して東京で師事すべき人を求めることの出来ぬ程、ドイツ語に通じているか。失敬ながら私はそれを疑う。こう云いつつ、私は机の上にあった Wundt を取って、F君の前に出して云った。こ・・・ 森鴎外 「二人の友」
「仲平さんはえらくなりなさるだろう」という評判と同時に、「仲平さんは不男だ」という蔭言が、清武一郷に伝えられている。 仲平の父は日向国宮崎郡清武村に二段八畝ほどの宅地があって、そこに三棟の家を建てて住んでいる。財産として・・・ 森鴎外 「安井夫人」
出典:青空文庫