・・・ともおのずからいくぶんの縁故を生じて来るのである。 こんな物ずきな比較は現在の言語学の領域とは没交渉な仕事である。しかし上述のいろいろな不思議な事実はやはり不思議な事実であってその事実は科学的説明を要求する。どれもこれもことごとく偶・・・ 寺田寅彦 「言葉の不思議」
・・・ 太郎の行った家には多少の縁故があるので、幼い子供らは時々様子を見に行った。おさるの片付いた氷屋も便宜がいいので通りがかりに見に行くそうである。秋になってその氷屋は芋屋に変わった。店先の框の日向に香箱を作って居眠りしている姿を私も時々見・・・ 寺田寅彦 「子猫」
・・・そのためにこれらの食物と、まだ見ぬ西洋へのあこがれの夢とが不思議な縁故で結びついてしまったのであった。一日山上で労働して後に味わったそれらの食物のうまかったことは言うまでもない。 そのテント生活中にN先生に安全剃刀でひげを剃ってもらった・・・ 寺田寅彦 「詩と官能」
・・・それがたとえ事実とどれほど離反していても、そんなことは元来加害者にも被害者にも縁故のない赤の他人の一般読者にはどうでもよいのである。「どこかに人殺しがあった」という事実だけが正確でうそでなければ、それ以外の間違いについて新聞社に苦情を持ち込・・・ 寺田寅彦 「ジャーナリズム雑感」
・・・「しばてん」と相撲を取る話。「えんこう」(河童を釣る話とかいう種類のものが多かった。一例として「えんこう」の話をとると、夕涼みに江ノ口川の橋の欄干に腰をかけているとこの怪物が水中から手を延ばして肛門を抜きに来る。そこで腰に鉄鍋を当てて待構え・・・ 寺田寅彦 「重兵衛さんの一家」
・・・適当な教師があれば教わりたかったが、そういう方面に少しの縁故ももたなかったし、またあったにしてもめったな人からは教わりたくもなかった。それでやっぱりいろんな書物にかいてあるひき方を読んでは、ひとりでくふうしながら稽古していた。いつまでもろく・・・ 寺田寅彦 「二十四年前」
・・・この絵巻がそれから四十年の月日の間にどういう運命を閲したか、もしかこの『旅と伝説』の読者のうちで、かの地に縁故のある人でもいて、この貴重な文献の所在をつきとめ、そうして、もしまだそうなっていないならば、それを永久に安全な場所に安置し、そうし・・・ 寺田寅彦 「初旅」
・・・あとで聞いたら、その独唱者は音楽学校の教師のP夫人で、故人と同じスカンジナビアの人だという縁故から特にこの日の挽歌を歌うために列席したのであったそうである。ただその声があまりに強く鋭く狭い会堂に響き渡って、われわれ日本人の頭にある葬式という・・・ 寺田寅彦 「B教授の死」
・・・ 文学者でチェルシーに縁故のあるものを挙げると昔しはトマス・モア、下ってスモレット、なお下ってカーライルと同時代にはリ・ハントなどがもっとも著名である。ハントの家はカーライルの直近傍で、現にカーライルがこの家に引き移った晩尋ねて来たとい・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・もっともこれは創作の低気圧のためであったけれども、来客謝絶は表向き双方同じ事なんだから、この看板を引き下ろさせるだけの縁故も親しみもない両人は、それきり面談をする機会がなかった。 ところがある日の午後湯に行った。着物を脱いで、流しへ這入・・・ 夏目漱石 「長谷川君と余」
出典:青空文庫