・・・れば、頗る下等な理窟臭い事でも、直ぐにどうのこうのと騒ぐのである、修養を待ず直ぐ出来るような事は何によらず浅薄なものに極って居る、吾邦唯一の美習として世界に誇るべき立派な遊技社交的にも家庭的にも随意に応用の出来る此茶の湯というものが、世の識・・・ 伊藤左千夫 「茶の湯の手帳」
・・・納め手拭はいつ頃から初まったか知らぬが、少くも喜兵衛は最も早く率先して盛んにこれを広告に応用した最初の一人であった。 さらぬだに淡島屋の名は美くしい錦絵のような袋で広まっていたから、淡島屋の軽焼は江戸一だという評判が益々高くなって、大名・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・あたかも私の友人の家で純粋セッター種の仔が生れたので、或る時セッター種の深い長い艶々した天鵞絨よりも美くしい毛並と、性質が怜悧で敏捷こく、勇気に富みながら平生は沈着いて鷹揚である咄をして、一匹仔犬を世話をしようかというと、苦々しい顔をして、・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・棋師が実戦的にも理論的にも一応の完成を示した平手将棋の定跡として、最高権威のものであったが、現在はもはやこの相懸り定跡は流行せず、若手棋師は相懸り以外の戦法の発見に、絶えず努力して、対局のたびに新手を応用している。が、六十八歳の坂田が実験し・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・ と鷹揚に湯崎でのことは忘れたような顔をして、「それで、なにはどうしてるんだね? 今でもやっぱし……」 お前と一緒にいるのかと、わざとぼんやりきくと、お前は直ぐお千鶴のことだと察し、「ああ、――あいつですか。朝鮮に残して来ま・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・山家の時雨は我国でも和歌の題にまでなっているが、広い、広い、野末から野末へと林を越え、杜を越え、田を横ぎり、また林を越えて、しのびやかに通り過く時雨の音のいかにも幽かで、また鷹揚な趣きがあって、優しく懐しいのは、じつに武蔵野の時雨の特色であ・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
・・・ ○ 顔も大きいが身体も大きくゆったりとしている上に、職人上りとは誰にも見せぬふさふさとした頤鬚上髭頬髯を無遠慮に生やしているので、なかなか立派に見える中村が、客座にどっしりと構えて鷹揚にまださほどは居ぬ蚊を吾家から提げた・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・へ特筆大書すべき始末となりしに俊雄もいささか辟易したるが弱きを扶けて強きを挫くと江戸で逢ったる長兵衛殿を応用しおれはおれだと小春お夏を跳ね飛ばし泣けるなら泣けと悪ッぽく出たのが直打となりそれまで拝見すれば女冥加と手の内見えたの格をもってむず・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・それを私は愛宕下の宿屋に応用したのだ。自分の身のまわりのことはなるべく人手を借りずに。そればかりでなく、子供にあてがう菓子も自分で町へ買いに出たし、子供の着物も自分で畳んだ。 この私たちには、いつのまにか、いろいろな隠し言葉もできた。・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・先生は、何事も意に介さぬという鷹揚な態度で、その大将にお酌をなされた。「は、いや、」大将は、左手で盃を口に運びながら、右手の小指で頭を掻いた。「委せられております。」「うむ。」先生は深くうなずいた。 それから先生と大将との間に頗・・・ 太宰治 「黄村先生言行録」
出典:青空文庫