・・・中には握飯を貰いて、ニタニタと打喜び、材木を負うて麓近くまで運び出すなどいうがあり。だらしのなき脊高にあらずや。そのかわり、遠野の里の彼のごとく、婦にこだわるものは余り多からず。折角の巨人、いたずらに、だだあ、がんまの娘を狙うて、鼻の下の長・・・ 泉鏡花 「遠野の奇聞」
朝六つの橋を、その明方に渡った――この橋のある処は、いま麻生津という里である。それから三里ばかりで武生に着いた。みちみち可懐い白山にわかれ、日野ヶ峰に迎えられ、やがて、越前の御嶽の山懐に抱かれた事はいうまでもなかろう。――・・・ 泉鏡花 「栃の実」
・・・のある、すぐに手を立てたように石坂がまた急になる、平面な処で、銀杏の葉はまだ浅し、樅、榎の梢は遠し、楯に取るべき蔭もなしに、崕の溝端に真俯向けになって、生れてはじめて、許されない禁断の果を、相馬の名に負う、轡をガリリと頬張る思いで、馬の口に・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・ この、半ば西洋づくりの構は、日本間が二室で、四角な縁が、名にしおうここの名所、三湖の雄なる柴山潟を見晴しの露台の誂ゆえ、硝子戸と二重を隔ててはいるけれど、霜置く月の冷たさが、渺々たる水面から、自から沁徹る。…… いま偶と寝覚の枕を・・・ 泉鏡花 「鷭狩」
・・・ 生活の革命……八人の児女を両肩に負うてる自分の生活の革命を考うる事となっては、胸中まず悲惨の気に閉塞されてしまう。 残余の財を取纏めて、一家の生命を筆硯に托そうかと考えて見た。汝は安心してその決行ができるかと問うて見る。自分の心は・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・鰌とりのかんてらが、裏の田圃に毎夜八つ九つ出歩くこの頃、蚕は二眠が起きる、農事は日を追うて忙しくなる。 お千代が心ある計らいによって、おとよは一日つぶさに省作に逢うて、将来の方向につき相談を遂ぐる事になった。それはもちろんお千代の夫も承・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・「おう誰かと思ったら、おちかどんかい、お前朝草刈をするのかい、感心なこったねい」 おれがこう云って立ち止まると、「馴れないからよく刈れましね、荒場のおじいさんもたいそうお早くどこへいきますかい」 そう云って莞爾笑うのさ、器量・・・ 伊藤左千夫 「姪子」
・・・「しかし、まだ奥さんにはお目にかかりませんけれど、おうちでは独りでご心配なさっておられますよ。それがお可哀そうで」「かかアは何も知ってませんや」「いいえ、先生のようなお気質では、つれ添う身になったら大抵想像がつきますもの」「・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・それでもマダ完結とならないので以下は順次に巻数を追うことにした。もし初めからアレだけ巻数を重ねる予定があったなら、一輯五冊と正確に定めて十輯十一輯と輯の順番を追って行くはずで、九輯の上だの下だの、更に下の上だの下の下だのと小面倒な細工をしな・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・政治家肌がこういう傾向になったのもまた間接に伊井公侯の文明尊重に負うているので、当時の政界の領袖は朝野を通じて皆文芸的理解に富んでいた。庄屋様上りの百姓政治家は帝都の中央では対手にされなかった。 由来革命の鍵はイツデモ門外漢の手に握られ・・・ 内田魯庵 「四十年前」
出典:青空文庫