・・・ 誓 月凍てたり。大路の人の跫音冴えし、それも時過ぎぬ。坂下に犬の吠ゆるもやみたり。一しきり、一しきり、檐に、棟に、背戸の方に、颯と来て、さらさらさらさらと鳴る風の音。この凩! 病む人の身をいかんする。ミリヤアドは衣・・・ 泉鏡花 「誓之巻」
・・・芝の高輪にあるので、毎日病院へ通うのに、この院線を使って、お茶の水で下車して、あれから大学の所在地まで徒歩するのが習であったが、五日も七日もこう降り続くと、どこの道もまるで泥海のようであるから、勤人が大路の往還の、茶なり黒なり背広で靴は、ま・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・ 七 明眸の左右に樹立が分れて、一条の大道、炎天の下に展けつつ、日盛の町の大路が望まれて、煉瓦造の避雷針、古い白壁、寺の塔など睫を擽る中に、行交う人は点々と蝙蝠のごとく、電車は光りながら山椒魚の這うのに似ている。・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・透って、蒼白い陰気な灯の前を、ちらりちらりと冷たい魂がさまよう姿で、耄碌頭布の皺から、押立てた古服の襟許から、汚れた襟巻の襞ひだの中から、朦朧と顕れて、揺れる火影に入乱れる処を、ブンブンと唸って来て、大路の電車が風を立てつつ、颯と引攫って、・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・ 今しがた一時、大路が霞に包まれたようになって、洋傘はびしょびしょする……番傘には雫もしないで、俥の母衣は照々と艶を持つほど、颯と一雨掛った後で。 大空のどこか、吻と呼吸を吐く状に吹散らして、雲切れがした様子は、そのまま晴上りそうに・・・ 泉鏡花 「妖術」
・・・矢切の斎藤と云えば、この界隈での旧家で、里見の崩れが二三人ここへ落ちて百姓になった内の一人が斎藤と云ったのだと祖父から聞いて居る。屋敷の西側に一丈五六尺も廻るような椎の樹が四五本重なり合って立って居る。村一番の忌森で村じゅうから羨ましがられ・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・は作者の十六歳の時の筆が祖父の大阪弁を写生している腕のたしかさはさすがであり、書きにくい大阪弁をあれだけ写し得たことによってこの作品が生かされたともいえるくらいであるが、あの大阪弁は茨木あたりの大阪弁である。「細雪」の大阪弁、「人間同志」の・・・ 織田作之助 「大阪の可能性」
・・・ ――もともと出鱈目と駄法螺をもって、信条としている彼の言ゆえ、信ずるに足りないが、その言うところによれば、彼の祖父は代々鎗一筋の家柄で、備前岡山の城主水野侯に仕えていた。 彼の五代の祖、川那子満右衛門の代にこんなことがあった……。・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・Fの方は昨晩からずいぶん悄げていたが、行李もできて別れの晩飯にかかったが、いよいよとなると母や妹たちや祖父などに会えるという嬉しさからか、私とは反対に元気になった。「母さんとこで二三日も遊んだら、祖父さんの方へ行ってすぐ学校へ行くように・・・ 葛西善蔵 「父の出郷」
・・・ この度は貞夫に結構なる御品御贈り下されありがたく存じ候、お約束の写真ようよう昨日でき上がり候間二枚さし上げ申し候、内一枚は上田の姉に御届け下されたく候、ご覧のごとくますます肥え太りてもはや祖父様のお手には荷が少々勝ち過ぎるように・・・ 国木田独歩 「初孫」
出典:青空文庫