・・・何でも事の起りは、あの界隈の米屋の亭主が、風呂屋で、隣同志の紺屋の職人と喧嘩をしたのですな。どうせ起りは、湯がはねかったとか何とか云う、つまらない事からなのでしょう。そうして、その揚句に米屋の亭主の方が、紺屋の職人に桶で散々撲られたのだそう・・・ 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
・・・そうしてぷりぷり怒りながら、浅川の叔母に話して聞かせた。のみならず叔母が気をつけていると、その後も看護婦の所置ぶりには、不親切な所がいろいろある。現に今朝なぞも病人にはかまわず、一時間もお化粧にかかっていた。………「いくら商売柄だって、・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・彼はその騒ぎに眠られないのを怒り、ベッドの上に横たわったまま、おお声に彼等を叱りつけた、と同時に大喀血をし、すぐに死んだとか云うことだった。僕は黒い枠のついた一枚の葉書を眺めた時、悲しさよりもむしろはかなさを感じた。「なおまた故人の所持・・・ 芥川竜之介 「彼」
・・・「ははあ、まだ御若いな、御若い内はとかく間違いが起りたがる。手前のような老爺になっては、――」 玄象道人はじろりとお蓮を見ると、二三度下びた笑い声を出した。「御生れ年も御存知かな? いや、よろしい、卯の一白になります。」 老・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・それを聞くと父の怒りは火の燃えついたように顔に出た。「馬鹿なことを言うな。この大事なお話がすまないうちにそんな失礼なことができるものか」 と矢部の前で激しく彼をきめつけた。興奮が来ると人前などをかまってはいない父の性癖だったが、現在・・・ 有島武郎 「親子」
・・・痩馬は荷が軽るくなると鬱積した怒りを一時にぶちまけるように嘶いた。遙かの遠くでそれに応えた馬があった。跡は風だけが吹きすさんだ。 夫婦はかじかんだ手で荷物を提げながら小屋に這入った。永く火の気は絶えていても、吹きさらしから這入るとさすが・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・なぜなら、それは当然起こらねばならなかったことが起こりはじめたからだ。いかなる詭弁も拒むことのできない事実の成り行きがそのあるべき道筋を辿りはじめたからだ。国家の権威も学問の威光もこれを遮り停めることはできないだろう。在来の生活様式がこの事・・・ 有島武郎 「宣言一つ」
・・・ 暁方の三時からゆるい陣痛が起り出して不安が家中に拡がったのは今から思うと七年前の事だ。それは吹雪も吹雪、北海道ですら、滅多にはないひどい吹雪の日だった。市街を離れた川沿いの一つ家はけし飛ぶ程揺れ動いて、窓硝子に吹きつけられた粉雪は、さ・・・ 有島武郎 「小さき者へ」
・・・己を改善し自己の哲学を実行せんとするに政治家のごとき勇気を有し、自己の生活を統一するに実業家のごとき熱心を有し、そうしてつねに科学者のごとき明敏なる判断と野蛮人のごとき卒直なる態度をもって、自己の心に起りくる時々刻々の変化を、飾らず偽らず、・・・ 石川啄木 「弓町より」
・・・…… で、それ以来――事件の起りました、とりわけ暑い日になりますまで、ほとんど誰も腹に堪るものは食わなかったのです。――……つもっても知れましょうが、講談本にも、探偵ものにも、映画にも、名の出ないほどの悪徒なんですから、その、へまさ加減・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
出典:青空文庫