・・・という顔をして、そのままポケットに収めた。 「何時です?」 「二時十五分」 二人は黙って立っている。 苦痛がまた押し寄せてきた。唸り声、叫び声が堪え難い悲鳴に続く。 「気の毒だナ」 「ほんとうにかわいそうです。どこの・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・ 映画で同時に別々の場所で起こっている事がらの並行的なモンタージュによって特殊の効果を収める。「餅作るならの広葉を打ち合わせ」という付け句を「親と碁をうつ昼のつれづれ」という前句に付けている。座敷の父とむすこに対して台所の母と嫁を出した・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・ただ長女と私とが時々少しずつ刈って行った。そのうちには雨が降ったりして休む日もあるので、いちばん始めに刈った所はもうかなりに新しい芽を延ばして来た。 最後に刈り残された庭の片すみのカンナの葉陰に、一きわ濃く茂った部分を刈っていた長女は、・・・ 寺田寅彦 「芝刈り」
・・・五人の子供が銘々に隠しあって描いたのを長女が纏めて綴った後に発表する事にしていた。「みそさざい」という名前をつけて一週間に一回くらいずつ発行したのが存外持続して最近には第九号が刊行されたようである。表紙画は順番で受け持つ事になっているらしい・・・ 寺田寅彦 「小さな出来事」
・・・ 父が亡くなった翌年の夏、郷里の家を畳んで母と長女を連れ、陸路琴平高松を経て岡山で一泊したその晩も暑かった。宿の三階から見下ろす一町くらい先のある家で、夜更けるまで大声で歌い騒ぎ怒鳴り散らすのが聞こえた。雨戸をしめに来た女中がこの騒ぎを・・・ 寺田寅彦 「夏」
・・・ 私がこの物語を読んでいた時に、離れた座敷で長女がピアノの練習をやっているのが聞こえていた。そのころ習い始めたメンデルスゾーンの「春の歌」の、左手でひく低音のほうを繰り返し繰り返しさらっていた。八分の一の低音の次に八分の一の休止があって・・・ 寺田寅彦 「春寒」
・・・「まあしかし、円くゆくものなら、このまま納めた方がいい。そうなれば、金の方は後でどうにか心配するけれど、今はちょっとね」「二度ばかり、松山の伯父さんとこへお尋ねしたそうですが、青木さんが叔父さんに逢ってお話したいそうですがいずれ私た・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・という新しい内容を収めさせた処にある。人力車は玩具のように小く、何処となく滑稽な形をなし最初から日本の生活に適当し調和するように発明されたものである。この二つはそのままの輸入でもなく無意味な模倣でもない。少くとも発明という賛辞に価するだけに・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・其一くさりが畢ると瞽女は絃を緩めで三味線を紺の袋へ納めた。そうして大きな荷物の側へ押しやった。大勢はまたがやがやと騒がしく成った。其時夜は深けかかって居た。人はだんだんに去って狭い店先はひっそりとした。太十はそれでも去らなかった。店先へぽっ・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・太き槍をレストに収めて、左の肩に盾を懸けたり。女は領を延ばして盾に描ける模様を確と見分けようとする体であったが、かの騎士は何の会釈もなくこの鉄鏡を突き破って通り抜ける勢で、いよいよ目の前に近づいた時、女は思わず梭を抛げて、鏡に向って高くラン・・・ 夏目漱石 「薤露行」
出典:青空文庫