・・・ オペラが総合芸術だと言われた時代があった。しかし今日において最も総合的な芸術は映画の芸術である。絵画彫刻建築は空間的であるが時間的でなく、音楽は時間的であるが空間的でない。舞踊演劇楽劇は空間的で同時に時間的であるという点では映画と同様・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・最後のオペラの場面でも、二つの向き合ったロージュと舞台との交錯した切り合わせ方の呼吸などがそれである。あれをもう少し下手にやろうものならおそらく見るに堪えない退屈なものになるにちがいない。 ソビエト映画「全線」というのを見た。これも肝心・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・西洋でも映画「三文オペラ」の親方マッキ・メッサーがやはり仕込み杖を持っているのである。 とにかく、他に実務的な携帯品があったのでは、せっかくのステッキもただのじじむさい杖になってしまう。よごれた折り鞄などを片手にぶらさげてはいけないので・・・ 寺田寅彦 「ステッキ」
・・・ パリから 私の宿はオペラの近くでちょっと引っ込んだ裏町にあります。二三町出るとブールバール・デジタリアンの大通りです。たいてい毎朝ここへ出て角で新聞を買います。初めてノートルダームに行った日はここから乗合馬車に・・・ 寺田寅彦 「先生への通信」
・・・そしてかの地で聞く機会の多いオペラのアリアや各種器楽のレコードを集めて、それを研究し修練してわびしいひとり居の下宿生活を慰めていた。その人の所で私はいい蓄音機のいいレコードがそれほど恐ろしいものではないという事を初めて知った。しかしそれにし・・・ 寺田寅彦 「蓄音機」
・・・ その頃、幾年となく、黒衣の帯に金槌をさし、オペラ館の舞台に背景の飾附をしていた年の頃は五十前後の親方がいた。眼の細い、身丈の低くからぬ、丈夫そうな爺さんであった。浅草という土地がら、大道具という職業がらには似もつかず、物事が手荒でなく・・・ 永井荷風 「草紅葉」
・・・ わたくしが帝国劇場にオペラの演奏せられるたびたび、殆毎夜往きて聴くことを娯しみとなしたのは、二十余年前笈を負うて遠く西洋に遊んだ当時のことが歴々として思返されるが故である。ミュッセの詩に言われた如く、オペラはわたくしに取っては「曾て聴・・・ 永井荷風 「帝国劇場のオペラ」
・・・ わたしは筆を中途に捨てたわが長編小説中のモデルを、しばしば帝国劇場に演ぜられた西洋オペラまたはコンセールの聴衆の中に索めようと力めた。また有楽座に開演せられる翻訳劇の観客に対しては特に精細なる注意をなした。わたしは漸くにして現代の婦人・・・ 永井荷風 「十日の菊」
・・・真正の音楽狂はワグネルの音楽をばオペラの舞台的装置を取除いて聴く事をかえって喜ぶ。しかしそれとは全然性質を異にする三味線はいわば極めて原始的な単純なもので、決して楽器の音色からのみでは純然たる音楽的幻想を起させる力を持っていない。それ故日本・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・わたくしは何となくシャルパンチエーの好んで作曲するオペラでもきくような心持になることができた。 セメントの大通は大横川を越えた後、更に東の方に走って十間川を横切り砂町の空地に突き入っている。砂町は深川のはずれのさびしい町と同じく、わたく・・・ 永井荷風 「深川の散歩」
出典:青空文庫