・・・ あわれ、着た衣は雪の下なる薄もみじで、膚の雪が、かえって薄もみじを包んだかと思う、深く脱いだ襟脚を、すらりと引いて掻き合わすと、ぼっとりとして膝近だった懐紙を取って、くるくると丸げて、掌を拭いて落としたのが、畳へ白粉のこぼれるようであ・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・ と教授が我が手で、その戸を開けてやりつつ、「こっちへお出で、かけてやろう。さ。」「は。」「可いか、十分に……」「あれ、どうしましょう、勿体ない、私は罰が当ります。」 懐紙に二階の影が散る。……高い廊下をちらちらと燭・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・「まあお聞きそれから縞のお召縮緬、裏に紫縮緬の附いた寝衣だったそうだ、そいつを着て、紅梅の扱帯をしめて、蒲団の上で片膝を立てると、お前、後毛を掻上げて、懐紙で白粉をあっちこっち、拭いて取る内に、唇に障るとちょいと紅が附いたろう。お小姓が・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・裏縁に引いた山清水に……西瓜は驕りだ、和尚さん、小僧には内証らしく冷して置いた、紫陽花の影の映る、青い心太をつるつる突出して、芥子と、お京さん、好なお転婆をいって、山門を入った勢だからね。……その勢だから……向った本堂の横式台、あの高い処に・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・ お駄賃に、懐紙に包んだのを白銅製のものかと思うと、銀の小粒で……宿の勘定前だから、怪しからず気前が好い。 女の子は、半分気味の悪そうに狐に魅まれでもしたように掌に受けると――二人を、山裾のこの坂口まで、導いて、上へ指さしをした――・・・ 泉鏡花 「若菜のうち」
・・・平和は根柢から破れて、戦闘は開始したのだ。もはや恐怖も遅疑も無い。進むべきところに進む外、何を顧みる余地も無くなった。家族には近い知人の二階屋に避難すべきを命じ置き、自分は若い者三人を叱して乳牛の避難にかかった。かねてここと見定めて置いた高・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・な町のお稲荷様の御利生にて御得意旦那のお子さまがた疱瘡はしかの軽々焼と御評判よろしこの度再板達磨の絵袋入あひかはらず御風味被成下候様奉希候以上 以上の文句の通りに軽々と疱瘡痲疹の大厄を済まして芥子ほどの痘痕さえ残らぬようという縁喜が・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・或人は営業開始の時期を訊いた。或人は焼けた書籍の中の特記すべきものを訊いた。或人は丸善の火災が文明に及ぼす影響などゝ云う大問題を提起した。中には又突拍子もない質問を提出したものもあった。曰く、『焼けた本の目録はありますか?』 丸善は如何・・・ 内田魯庵 「灰燼十万巻」
・・・彼等は、夜のうちに、死んだ友をことごとく片づけて、明くる日は、さらに新しく生活戦を開始すべく、立直っているように見えたからでした。 昔、読んだスタンレーの探検記には、アフリカの蛮地で兇猛なあり群に襲われることが書いてあった。たしかに、猛・・・ 小川未明 「近頃感じたこと」
・・・ 第五スタジオの控室で、放送開始時間を待っていると、給仕が、「赤団治さんに御面会です。お宅の奥さんが受付へ来ておられます」と、知らせに来た。「えっ、女房が……? 新聞を見て来よったんやろか。すぐ行きます。おおけに……」 飛び・・・ 織田作之助 「昨日・今日・明日」
出典:青空文庫