・・・ 線路の片側は千葉街道までつづいているらしい畠。片側は人の歩むだけの小径を残して、農家の生垣が柾木や槙、また木槿や南天燭の茂りをつらねている。夏冬ともに人の声よりも小鳥の囀る声が耳立つかと思われる。 生垣の間に荷車の通れる道がある。・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・と、わたくしは今でも「落花の雪にふみまよふ片野あたりの桜狩」と、海道下りの一節を暗誦して人を驚すことが出来るが、その代り書きかけている自作の小説の人物の名を忘れたりまたは書きちがえたりすることがある。 鶯の声も既に老い、そろそろ桜がさき・・・ 永井荷風 「十六、七のころ」
・・・昔からいい古した通り海棠の雨に悩み柳の糸の風にもまれる風情は、単に日本の女性美を説明するのみではあるまい。日本という庭園的の国土に生ずる秩序なき、淡泊なる、可憐なる、疲労せる生活及び思想の、弱く果敢き凡ての詩趣を説明するものであろう。・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・本堂は間もなく寄附金によって、基督新教の会堂の如く半分西洋風に新築されるという話……ああ何たる進歩であろう。 私は記憶している。まだ六ツか七ツの時分、芝の増上寺から移ってこの伝通院の住職になった老僧が、紫の紐をつけた長柄の駕籠に乗り、随・・・ 永井荷風 「伝通院」
・・・ 右はシャロットへの本街道、十五哩は確かにあろう」これも老人の説明である。「そのシャロットの方へ――後より呼ぶわれを顧みもせで轡を鳴らして去る。やむなくてわれも従う。不思議なるはわが馬を振り向けんとしたる時、前足を躍らしてあやしくも嘶け・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・「今顔を洗っています、昨夕中央会堂の慈善音楽会とかに行って遅く帰ったものですから、つい寝坊をしましてね」「インフルエンザは?」「ええありがとう、もうさっぱり……」「何ともないんですか」「ええ風邪はとっくに癒りました」・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・桜と海棠の感じに相違のあるのは何人も認めている。その相違を説明しろと云われるとちょっとできにくい。写生文と普通の文章の差違は認められているにもかかわらず明かに道破されておらんのもこの理である。かの写生文を標榜する人々といえども単にわが特色を・・・ 夏目漱石 「写生文」
・・・で、彼はとっさの間に、グラウンドに沿うて木柵によって仕切られている街道まで腹這いになって進んだ。 街道に出ると、彼は木柵を盾にして、グラウンドの灰色の景色をながめた。その時にはもう深谷の姿は見えなかった。彼は茫然として立ちつくした。なぜ・・・ 葉山嘉樹 「死屍を食う男」
・・・斯る化物は街道に連れ出して見世物となすには至極面白かるべけれども、世の中のためには甚だ困りものなり。 福沢諭吉 「家庭習慣の教えを論ず」
・・・しかのみならず、この法外の輩が、たがいにその貧困を救助して仁恵を施し、その盗みたる銭物を分つに公平の義を主とし、その先輩の巨魁に仕えて礼をつくし、窃盗を働くに智術をきわめ、会同・離散の時刻に約を違えざる等、その局処についてこれをみれば、仁義・・・ 福沢諭吉 「教育の目的」
出典:青空文庫