・・・何しろ貧しい達雄にはピアノを買う金などはないはずですからね。 主筆 ですがね、堀川さん。 保吉 しかし活動写真館のピアノでも弾いていられた頃はまだしも達雄には幸福だったのです。達雄はこの間の震災以来、巡査になっているのですよ。護憲運・・・ 芥川竜之介 「或恋愛小説」
・・・最も明白な場合のみを挙げて見ても、千五百七十五年には、マドリッドに現れ、千五百九十九年には、ウインに現れ、千六百一年にはリウベック、レヴェル、クラカウの三ヶ所に現れた。ルドルフ・ボトレウスによれば、千六百四年頃には、パリに現れた事もあるらし・・・ 芥川竜之介 「さまよえる猶太人」
・・・たとえばたった一行を訳するにしても、「そこでロビンソン・クルウソオは、とうとう飼う事にしました。何を飼う事にしたかと云えば、それ、あの妙な獣で――動物園に沢山いる――何と云いましたかね、――ええとよく芝居をやる――ね、諸君も知っているでしょ・・・ 芥川竜之介 「毛利先生」
・・・ともちゃん、おまえのその帯の間に、マドンナの胸の肉を少しばかり買う金がありゃしないか。とも子 なかったわ。私ずいぶん長い間なんにももらわないんですもの。瀬古 許しておくれ、ともちゃん、僕たちはおまえんちの貧乏もよく知ってるんだが…・・・ 有島武郎 「ドモ又の死」
・・・「……干鯛かいらいし……ええと、蛸とくあのく鱈、三百三もんに買うて、鰤菩薩に参らする――ですか。とぼけていて、ちょっと愛嬌のあるものです。ほんの一番だけ、あつきあい下さいませんか。」 こう、つれに誘われて、それからの話である。「蛸と・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・人形使 犬になって――凝と夫人を抱き起し、その腰の下へ四這いに入る背に、夫人おのずから腰を掛けつ、なお倒れんとする手を、画家たすけ支う。馬になってお供をするだよ。画家 奥さん、――何事も御随意に。夫人 貴方、・・・ 泉鏡花 「山吹」
・・・弱音を吹いて見たところで、いたずらに嘲笑を買うまでで、だれあって一人同情をよせるものもない。だれだってそうだといわれて見るとこれきりの話だ。 省作も今は、なあにという気になった。今日の稲刈りで、よし田ん中へ這ったって、苦しいのなんのとい・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・つかってしまったのでしょうことなしに親の時からつかわれて居た下男を夫にしてその土地を出て田舎に引き込んでその日暮しに男が犬をつって居ると自分は髪の油なんかうって居たけれどもこんなに落ぶれたわけをきいて買う人がないので暮しかね朝の露さえのどを・・・ 著:井原西鶴 訳:宮本百合子 「元禄時代小説第一巻「本朝二十不孝」ぬきほ(言文一致訳)」
・・・随って相場をする根性で描く画家も、株を買う了簡で描いてもらう依頼者もなかった。時勢が違うので強ち直ちに気品の問題とする事は出来ないが、当時の文人や画家は今の小説家や美術家よりも遥かに利慾を超越していた。椿岳は晩年画かきの仲間入りをしていたが・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・「棄てられたり紛れたりして来たから拾って育ててやるので、犬や猫を飼うのは楽みよりは苦みである。わざわざ求めて飼うもんじゃ決してない、」といっていた。二葉亭の犬や猫に対するや人間の子を愛すると同じ心持であった。六 二葉亭の文章癖・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
出典:青空文庫