・・・魚が病的だというのか、そういうことをいうのが病的だか、それとも、こういう魚を飼うことがそうなのかわからなかった。魚はそのうちに器底に沈んで、あっちへ壁のほうを向いてしっぽをこっちへ向けたまま、じっとして動かなくなってしまった。つまらないから・・・ 寺田寅彦 「試験管」
・・・わが家に猫を飼うという事はどうしても有りうべからざる事のようにしかその時は思われなかった。 それから二三日たって妻はまた三毛のほうをつかまえて来た。ところがこのほうは前のきじ毛に比べると恐ろしく勇敢できかぬ気の子猫であった。前だれにくる・・・ 寺田寅彦 「ねずみと猫」
・・・別に悪いところにいるというのじゃないし、女を買うわけでもないんですもの。山中なんかへ行ってるよりか、よほど安心なもんや」「それにもうしばらく兄の容態も見たいと思っているんだ。今日いいかと思うと、明朝はまた変わるといったふうだから、東京へ・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・われわれは新しい流行の帽子を買うためにも、遠い国から来た葡萄酒を買うためにも、無論この銀座へ来ねばならぬが、それと同時に、有楽座などで聞く事を好まない「昔」の歌をば、なりたけ「昔」らしい周囲の中に聞き味おうとすればやはりこの辺の特種な限られ・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・それがそこに何も支うるものがなかったならば怪我人は即死した筈である。棍棒は繁茂した桑の枝を伝いて其根株に止った。更に第三の搏撃が加えられた。そうして赤犬を撲殺した其棍棒は折れた。悪戯の犠牲になった怪我人は絶息したまま仲間の為めに其の家へ運ば・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・かく観ぜんと思い詰めたる今頃を、わが乗れる足台は覆えされて、踵を支うるに一塵だになし。引き付けられたる鉄と磁石の、自然に引き付けられたれば咎も恐れず、世を憚りの関一重あなたへ越せば、生涯の落ち付はあるべしと念じたるに、引き寄せたる磁石は火打・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・その時子規はどこからか夏蜜柑を買うて来て、これを一つ食えと云って余に渡した。余は夏蜜柑の皮を剥いて、一房ごとに裂いては噛み、裂いては噛んで、あてどもなくさまようていると、いつの間にやら幅一間ぐらいの小路に出た。この小路の左右に並ぶ家には門並・・・ 夏目漱石 「京に着ける夕」
十月早稲田に移る。伽藍のような書斎にただ一人、片づけた顔を頬杖で支えていると、三重吉が来て、鳥を御飼いなさいと云う。飼ってもいいと答えた。しかし念のためだから、何を飼うのかねと聞いたら、文鳥ですと云う返事であった。 文鳥は三重吉の・・・ 夏目漱石 「文鳥」
・・・「オイ、若えの、お前は若え者がするだけの楽しみを、二分で買う気はねえかい」 蛞蝓は一足下りながら、そう云った。「一体何だってんだ、お前たちは。第一何が何だかさっぱり話が分らねえじゃねえか、人に話をもちかける時にゃ、相手が返事の出・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・又事実に於ても古来大名などが妾を飼うとき、奥方より進ぜらるゝの名義あり。男子が醜悪を犯しながら其罪を妻に分つとは陰険も亦甚だし。女大学の毒筆与りて力ありと言う可し。第三婬乱なれば去ると言う。我日本国に於て古来今に至るまで男子と女子と孰れが婬・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
出典:青空文庫