・・・オベリスクやエッフェル塔が空中でとんぼ返りをしたりする滑稽でも、要領がよいのでくすぐりに落ちずして自然に人のあごを解くようなところがある。「制服の処女」とこの映画とを比べても実によくドイツ人の映画とフランス人の映画との対照がわかるような・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
・・・もちろんこの辺の名所にはすべて厭な臭味がついているようで、それ以上見たいとは思わなかったし、妻や子供たちの病後も気にかかっていたので、帰りが急がれてはいたが……。 で、わたしは気忙しい思いで、朝早く停留所へ行った。 その日も桂三郎は・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・先生のお帰りまでに、きっと撲殺してお目にかけます。」 田崎は例の如く肩を怒らして力味返った。此の人は其後陸軍士官となり日清戦争の時、血気の戦死を遂げた位であったから、殺戮には天性の興味を持って居たのであろう。日頃田崎と仲のよくない御飯焚・・・ 永井荷風 「狐」
・・・長煙管で灰吹の筒を叩く音、団扇で蚊を追う響、木の橋をわたる下駄の音、これらの物音はわれわれが子供の時日々耳にきき馴れたもので、そして今は永遠に返り来ることなく、日本の国土からは消去ってしまったものである。 英国人サー・アーノルドの漫遊記・・・ 永井荷風 「西瓜」
・・・と言いかけて吾に帰りたる髯が「それそれ。合奏より夢の続きが肝心じゃ。――画から抜けだした女の顔は……」とばかりで口ごもる。「描けども成らず、描けども成らず」と丸き男は調子をとりて軽く銀椀を叩く。葛餅を獲たる蟻はこの響きに度を失して菓子椀・・・ 夏目漱石 「一夜」
・・・髯の根をうんと抑えて、ぐいと抜くと、毛抜は下へ弾ね返り、顋は上へ反り返る。まるで器械のように見える。「あれは何日掛ったら抜けるだろう」と碌さんが圭さんに質問をかける。「一生懸命にやったら半日くらいで済むだろう」「そうは行くまい」・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・逆に各国家民族が自己自身に還り、自己自身の世界史的使命を自覚することによって、結合して一つの世界を形成するのである。かかる綜合統一を私は世界と云うのである。各国家民族を否定した抽象的世界と云うのは、実在的なものではない。従ってそれは世界と云・・・ 西田幾多郎 「世界新秩序の原理」
・・・余り帰りが遅くなるので、秋山の長屋でも、小林の長屋でも、チャンと一緒に食う筈になっている、待ち切れない夕食を愈々待ち切れなくなった、餓鬼たちが騒ぎ出した。「そんなに云うんだったら、帳場に行ってチャンを連れて来い」 と女房たちが子供に・・・ 葉山嘉樹 「坑夫の子」
・・・ エモノのタコを東京に持って帰り、友人の宇野逸夫に話したところ、彼は自分の故郷では、イイダコは赤い色のついたもので釣るという。宇野は隠岐の島出身、つまり日本海である。すると、太平洋のタコは白好きで、日本海のタコは赤好きなのか。きっと、ソ・・・ 火野葦平 「ゲテ魚好き」
・・・もう今夜ッきりきッと来ない。来ようと思ッたッて来られないのだ。まだ去らないのかなア。もう帰りそうなものだ。大分手間が取れるようだ。本統に帰るのか知らん。去らなきゃ去らないでもいい。情夫だとか何だとか言ッて騒いでやアがるんだから、どうせ去りゃ・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
出典:青空文庫