・・・かく観ずればこの女の運命もあながちに嘆くべきにあらぬを、シャロットの女は何に心を躁がして窓の外なる下界を見んとする。 鏡の長さは五尺に足らぬ。黒鉄の黒きを磨いて本来の白きに帰すマーリンの術になるとか。魔法に名を得し彼のいう。――鏡の表に・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・ただ漫然たる江湖において、論者も不学、聴者も不学、たがいに不学無勘弁の下界に戦う者は、捨ててこれを論ぜざるなり。 福沢諭吉 「経世の学、また講究すべし」
・・・挙げて中央政府に敵し、其これに敵するの際に帝室の名義を奉じ、幕政の組織を改めて王政の古に復したるその挙を名けて王政維新と称することなれば、帝室をば政治社外の高処に仰ぎ奉りて一様にその恩徳に浴しながら、下界に居て相争う者あるときは敵味方の区別・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・塵をなみすずしさ広き砂上の月薔薇羽ならす蜂あたたかに見なさるる窓をうづめて咲くさうびかな題しらず雲ならで通はぬ峰の石陰に神世のにほひ吐く草花歌会の様よめる中に人麻呂の御・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・しかし、よく見かけるのはいずれも山に対してあまり抒情的であり、しかもその抒情性がいかにも東洋風で、下界の人間の臭気から浄き山気へのがれるというような感情のすえどころから語られているのが、いつも何か物足らない心持をおこさせる。今日のひとが山を・・・ 宮本百合子 「科学の常識のため」
・・・この社会小説への門としての長篇小説流行が、当時に於てもその長篇小説らしい構成を欠いていること、武田麟太郎の「下界の眺め」にしろ横光利一の「家族会議」にしろ或は「人生劇場」「冬の宿」その他が一様に通俗性に妥協している点で批判を蒙っていたことは・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
・・・(にじり出した、宮の端から下界を瞰下一寸下を覗かせろ。愚鈍な人間共が、何も知らずに泰平がっている有様を、もう一息の寿命だ。見納めに見てやろう。ヴィンダー 俺の大三叉も、そろりそろりと鳴り始めたぞ。この掌に伝わる頼もしい震動はどうだ。ふむ・・・ 宮本百合子 「対話」
・・・ 高い山から眺める下界の景色は、ほんとに綺麗である。そしてほんとに可愛らしい。 何もかもが小さくちょびんとまとまって、行儀よく、ぶつかりもせず離れすぎもしないように並んでいる。 昔々ずうっと大昔、まだ人間が毛むくじゃらで、猫のよ・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
・・・のようなものに女の憤慨を漏していますけれども、一葉はその時代の婦人の文学というものの考え方、いろいろなものに支配されて自分の憤慨している気持、向島の歌会の風流の中で憤慨して苦しく思った気持、それをその儘あれだけ立派な文章の書ける筆で書かなか・・・ 宮本百合子 「婦人の創造力」
・・・しかもそれは紙ばりの思想的凧に縛りつけられて下界に向って舌を出しながらふらついているオモチャの幽鬼である。 ダンテの神曲が、後代の卑俗な研究家によって地獄、煉獄、天国の地図をつくられているのにならって、小樽市の現実的な地図などを小説の間・・・ 宮本百合子 「文芸時評」
出典:青空文庫