・・・ 天災地変の禍害というも、これが単に財産居住を失うに止まるか、もしくはその身一身を処決して済むものであるならば、その悲惨は必ずしも惨の極なるものではない。一身係累を顧みるの念が少ないならば、早く禍の免れ難きを覚悟したとき、自ら振作するの・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・ その頃の書生は今の青年がオペラやキネマへ入浸ると同様に盛んに寄席へ通ったもので、寄席芸人の物真似は書生の課外レスンの一つであった。二葉亭もまた無二の寄席党で、語学校の寄宿舎にいた頃は神保町の川竹の常連であった。新内の若辰が大の贔負で、・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・ それ故に、課外の情操教育や、乃至人格を造る上に役立つ教化は学校教育と併行して奨励されなければならぬ急務に迫られています。児童を中心とする文学は、それ自からの中に児童の世界を展開し、生活し、観察し、思考することより描かれたものでなければ・・・ 小川未明 「新童話論」
・・・ ――朝鮮を食い詰めて、お千鶴を花街に残したまま、再び大阪へ舞い戻って来た丹造は、妙なヒントから、肺病自家薬の製造発売を思い立ち、どう工面して持って来たのか、なけなしの金をはたいて、河原町に九尺二間の小さな店を借り入れ、朝鮮の医者が・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・「禍害なるかな、偽善なる学者、パリサイ人よ、汝らは酒杯と皿との外を潔くす、然れども内は貪慾と放縦とにて満つるなり。禍害なるかな、偽善なる学者、パリサイ人よ、汝らは白く塗りたる墓に似たり、外は美しく見ゆれども、内は死人の骨とさまざまの穢とに満・・・ 太宰治 「駈込み訴え」
・・・ 禍害なるかな、偽善なる学者、なんぢらは人の前に天国を閉して、自ら入らず、入らんとする人の入るをも許さぬなり。盲目なる手引よ、汝らは蚋を漉し出して駱駝を呑むなり。禍害なるかな、偽善なる学者、外は人に正しく見ゆれども、内は偽善と不法とにて・・・ 太宰治 「如是我聞」
・・・盗難や詐欺にかかった被害者の女師匠などが、加害者でもなんでもない赤の他人の立派なお役人を、どうでもそうだと言い張る場合などがそれである。 突発した事件の目撃者から、その直後に聞き取ったいわゆる証言でも大半は間違っている。これは実験心理学・・・ 寺田寅彦 「錯覚数題」
・・・それがたとえ事実とどれほど離反していても、そんなことは元来加害者にも被害者にも縁故のない赤の他人の一般読者にはどうでもよいのである。「どこかに人殺しがあった」という事実だけが正確でうそでなければ、それ以外の間違いについて新聞社に苦情を持ち込・・・ 寺田寅彦 「ジャーナリズム雑感」
・・・ 松子雁の饒歌余譚に曰く「根津ノ新花街ハ方今第四区六小区中ノ地ニ属ス。三面ハ渾テ本郷駒籠谷中ノ阻台ヲ負ヒ、南ノ一方劣ニ蓮池ヲ抱ク。尤モ僻陬ノ一小廓ナリ。莫約根津ト称スル地藩ハ東西二丁ニ充タズ、南北険ド三丁余。之ヲ七箇町ニ分割ス。則曰ク七・・・ 永井荷風 「上野」
・・・抑も一夫一婦家に居て偕老同穴は結婚の契約なるに、其夫婦の一方が契約を無視し敢て婬乱不品行を恣にし他の一方を疏外するが如きは、即ち之を虐待し之を侮辱することにして、破約加害の大なるものなれば、被害者たる婦人が正々堂々の議論以て其罪を責むるは、・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
出典:青空文庫