・・・彼はその思い出の中に、長蝋燭の光を見、伽羅の油の匂を嗅ぎ、加賀節の三味線の音を聞いた。いや、今十内が云った里げしきの「さすが涙のばらばら袖に、こぼれて袖に、露のよすがのうきつとめ」と云う文句さえ、春宮の中からぬけ出したような、夕霧や浮橋のな・・・ 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
・・・ 前田家は、幕府の制度によると、五世、加賀守綱紀以来、大廊下詰で、席次は、世々尾紀水三家の次を占めている。勿論、裕福な事も、当時の大小名の中で、肩を比べる者は、ほとんど、一人もない。だから、その当主たる斉広が、金無垢の煙管を持つと云う事・・・ 芥川竜之介 「煙管」
文政四年の師走である。加賀の宰相治修の家来に知行六百石の馬廻り役を勤める細井三右衛門と云う侍は相役衣笠太兵衛の次男数馬と云う若者を打ち果した。それも果し合いをしたのではない。ある夜の戌の上刻頃、数馬は南の馬場の下に、謡の会・・・ 芥川竜之介 「三右衛門の罪」
・・・これは、元和六年、加賀の禅僧巴なるものの著した書物である。巴は当初南蛮寺に住した天主教徒であったが、その後何かの事情から、DS 如来を捨てて仏門に帰依する事になった。書中に云っている所から推すと、彼は老儒の学にも造詣のある、一かどの才子だっ・・・ 芥川竜之介 「るしへる」
・・・ 十歳ばかりの頃なりけん、加賀国石川郡、松任の駅より、畦路を半町ばかり小村に入込みたる片辺に、里寺あり、寺号は覚えず、摩耶夫人おわします。なき母をあこがれて、父とともに詣でしことあり。初夏の頃なりしよ。里川に合歓花あり、田に白鷺あり。麦・・・ 泉鏡花 「一景話題」
・・・ 場所は、言った通り、城下から海岸の港へ通る二里余りの並木の途中、ちょうど真中処に、昔から伝説を持った大な一面の石がある――義経記に、……加賀国富樫と言う所も近くなり、富樫の介と申すは当国の大名なり、鎌倉殿より仰は蒙らねども、内・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・三州奇談に、人あり、加賀の医王山に分入りて、黄金の山葵を拾いたりというに類す。類すといえども、かくのごときは何となく金玉の響あるものなり。あえて穿鑿をなすにはあらず、一部の妄誕のために異霊を傷けんことを恐るればなり。 また、事の疑うべき・・・ 泉鏡花 「遠野の奇聞」
・・・どういうものか、はい、御維新前まで、越前の中で、此処一山は、加賀領でござったよ――お前様、なつかしかんべい。」「いや、僕は些とでも早く東京へ行きたいんだよ。」「お若いで、えらい元気じゃの。……はいよ。」「おいよ。」と声を合わせて、道割の小滝・・・ 泉鏡花 「栃の実」
・・・渠はその壮時において加賀の銭屋内閣が海軍の雄将として、北海の全権を掌握したりし磁石の又五郎なりけり。 泉鏡花 「取舵」
・・・建てて数十年を経たる古家なれば、掃除は手綺麗に行届きおれども、そこら煤ぼりて余りあかるからず、すべて少しく陰気にして、加賀金沢の市中にてもこのわたりは浅野川の河畔一帯の湿地なり。 園生は、一重の垣を隔てて、畑造りたる裏町の明地に接し、李・・・ 泉鏡花 「化銀杏」
出典:青空文庫