・・・ 杉山平助氏の『婦人公論』における恋愛論は、ジャーナリストとしての技術を傾けて書かれているものであるが、中に短く引用されている加賀耿二氏の文章がある。「労働者に恋愛などという高尚なものはない。あるのは『おい、どうだい?』ばかりである」云・・・ 宮本百合子 「もう少しの親切を」
・・・元禄時代には、辛うじて俳句の世界で加賀の千代、その他数名の優れた女性達が現われた。けれども、小説というような、社会に対する客観的な眼、自分の生活に対する省察と洞察とを要求されるような精神上の労作は、封建の数百年間、日本婦人の可能から、奪われ・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
・・・ 酒井忠実は月番老中大久保加賀守忠真と三奉行とに届済の上で、二月二十六日附を以て、宇平、りよ、九郎右衛門の三人に宛てた、大目附連署の証文を渡して、敵討を許した。「早々本意を達し可立帰、若又敵人死候はば、慥なる証拠を以可申立」と云う沙・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・これは祖先以来の出入先で、本郷五丁目の加賀中将家、桜田堀通の上杉侍従家、桜田霞が関の松平少将家の三家がその主なるものであった。加賀の前田は金沢、上杉は米沢、浅野松平は広島の城主である。 文政の初年には竜池が家に、父母伊兵衛夫婦が存命して・・・ 森鴎外 「細木香以」
・・・文明十七年の山城の国一揆、長享二年の加賀の一向一揆などはその著明な例である。これらは兼良の没後数年にして起こったことであるが、世界の情勢からいうと、インド航路打通の運動がようやくアフリカ南端に達したころの出来事である。 このころ以後の民・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
出典:青空文庫