・・・ふと、蜂谷は思いついたように、「小山さん、医者稼業というやつはとかく忙しいばかりでして、思うようにも届きません。昨日から私も若いものを一人入れましたで。ええここの手伝いに。何かまた御用がありましたら、言付けてやって下さい」 こう言っ・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・きまりきった日々の課業をして暇な時間を無意味に過すと云うような事がむしろ堪え難い苦痛であった。ただ何かしら絶えず刺戟が欲しい。快楽とか苦痛とか名の付くようなものでなく、何んだか分らぬ目的物を遠い霞の奥に望んで、それをつかまえよう/\としてい・・・ 寺田寅彦 「イタリア人」
・・・おもしろいものが見られ聞かれてその上に午後の課業が休みになるのだから、文学士と蓄音機との調和不調和などを考える暇はないくらい喜んだに相違ない。その時歓声をあげた生徒の中に無論私も交じっていた。 校長の紹介で講壇に立った文学士は堂々たる風・・・ 寺田寅彦 「蓄音機」
・・・今日もこの歯が一本ぐらぐらになってね、棕櫚縄を咬えるもんだから、稼業だから為方がないようなもんだけれど……。」 爺さんは植木屋の頭に使われて、其処此処の庭の手入れをしたり垣根を結えたりするのが仕事なのだ。それでも家には小金の貯えも少しは・・・ 徳田秋声 「躯」
・・・ここの家なんか、こんな稼業をしているけれど、めいめい自分の生活については、相当苦しんでもいるんだからね」「それあそうや」姉は頷いていた。 それから別れる場合の、話しのつけ方と、交渉にあたる人とを、道太は指名した。「どうも僕じゃ少・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・ あがりがまちのむこうには、荷馬車稼業の父親が、この春仕事さきで大怪我をしてからというもの、ねたきりでいたし、そばにはまだ乳のみ児の妹がねかしてあった。母親にすれば、倅の室の隅においている小さい本箱と、ちかごろときどき東京からくる手紙が・・・ 徳永直 「白い道」
・・・それにもかかわらず私はもともと賤しい家業をした身体ですからと、万事に謙譲であって、いかほど家庭をよく修め男に満足と幸福を与えたからとて、露ほどもそれを己れの功としてこれ見よがしに誇る心がない。今時の女学校出身の誰々さんのように、夫の留守に新・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・現にその発現は世の中にどんな形になって、どんなに現れているかと云うことは、この競争劇甚の世に道楽なんどとてんでその存在の権利を承認しないほど家業に励精な人でも少し注意されれば肯定しない訳に行かなくなるでしょう。私は昨晩和歌の浦へ泊りましたが・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
・・・ しかるに各課担任の教師はその学問の専門家であるがため、専門以外の部門に無識にして無頓着なるがため、自己研究の題目と他人教授の課業との権衡を見るの明なきがため、往々わが範囲以外に飛び超えて、わが学問の有効を、他の領域内に侵入してまでも主・・・ 夏目漱石 「作物の批評」
・・・ そこで世の中では――ことに昔の道徳観や昔堅気の親の意見やまたは一般世間の信用などから云いますと、あの人は家業に精を出す、感心だと云って賞めそやします。いわゆる家業に精を出す感心な人というのは取も直さず真黒になって働いている一般的の知識・・・ 夏目漱石 「道楽と職業」
出典:青空文庫