・・・見舞いに来る親戚も、親戚も、きっと話の終りには看護婦に逢って行くことを持出して、何時の間にか姿を隠すように帰って行くのが、おげんに取っては可笑しくもあり心細くもあった。この熊吉が養生園の応接間の方から引返して来て、もう一度姉の部屋の外で声を・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・やがて次郎は何か思いついたように、やや中腰の姿勢をして、車のゆききや人通りの激しい外の町からこの私をおおい隠すようにした。 私たちはある町を通り過ぎようとした。祭礼かと見まごうばかりにぎやかに飾り立てたある書店の前の広告塔が目につく。私・・・ 島崎藤村 「分配」
・・・この道は暗緑色の草が殆ど土を隠す程茂っていて、その上に荷車の通った輪の跡が二本走っている。 薄ら寒い夏の朝である。空は灰色に見えている。道で見た二三本の立木は、大きく、不細工に、この陰気な平地に聳えている。丁度森が歩哨を出して、それを引・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・私が顔を赤くして、もじもじしていると、隠すなよ、そこらを掻き廻したら、二十円くらいは出て来るだろう、と私に、からかうようにおっしゃるので、私は、びっくりしてしまいました。たった二十円。私は、あなたの顔を見直しました。あなたは、私の視線を、片・・・ 太宰治 「きりぎりす」
・・・わしは、それを聞いてしまった。隠すな。謀叛の疑い充分。ドミチウスと二人で死ぬがよい。『ドミチウスを殺しては、いけません。』アグリパイナの必死の抗議の声は、天来のそれの如く厳粛に響き渡る。『ドミチウスは、あなたのものでない。また、私のもの・・・ 太宰治 「古典風」
・・・もっとも日本人菊五郎はくふうを隠すことに骨を折りドイツ人ヤニングスはくふうを見せる事をつとめているという相違はあるかもしれない。 心理的にはかなりおかしいと思われるところでも芸の細かさでたいした矛盾を感じさせないで筋を通して行くといった・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
・・・一日あるいはどうかするとそれ以上も姿を隠す事があった。始めはもしや猫殺しの手にでもかかったのではないかと心配して近所じゅうを尋ねさせたりした事もあったが、そうしていると夜明け方などにふいと帰って来た。平生はつやつやしい毛色が妙に薄ぎたなくよ・・・ 寺田寅彦 「子猫」
・・・ ジャズを踊る踊子は戦争前には腰と乳房とを隠していたのであるが、モデルが出るようになってから、それも出来得るかぎり隠す部分の少いように仕立てたものを附けるので、後や横を向いた時には真裸体のように見えることがある。昨年正月から二月を過ぎ三・・・ 永井荷風 「裸体談義」
・・・一 家の美風その箇条は様々なる中にも、最も大切なるは家族団欒相互に隠すことなきの一事なり。子女が何かの事に付き母に語れば父にも亦これを語り、父の子に告ぐることは母も之を知り、母の話は父も亦知るようにして、非常なる場合の外は一切万事に秘密・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・天下広し家族多しといえども、一家の夫婦・親子・兄弟姉妹、相互いに親愛恭敬して至情を尽し、陰にも陽にも隠す所なくして互いにその幸福を祈り、無礼の間に敬意を表し、争うが如くにして相譲り、家の貧富に論なく万年の和気悠々として春の如くなるものは、不・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
出典:青空文庫