・・・椿岳も児供の時から画才があって、十二、三歳の頃に描いた襖画が今でも川越の家に残ってるそうだが、どんな田舎の百姓家にしろ、襖画を描くというはヘマムシ入道や「へへののもへじ」の凸坊の自由画でなかった事は想像される。椿岳の画才はけだし天禀であった・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・一体行儀の好い男で、あぐらを掻くッてな事は殆んどなかった。いよいよ坐り草臥びれると能く立膝をした。あぐらをかくのは田舎者である、通人的でないと思っていたのだろう。 それが皮切で、それから三日目、四日目、時としては続いて毎日来た。来れば必・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・たし 薄命紅顔の双寡婦 奇縁白髪の両新人 洞房の華燭前夢を温め 仙窟の煙霞老身を寄す 錬汞服沙一日に非ず 古木再び春に逢ふ無かる可けん 河鯉権守夫れ遠謀禍殃を招くを奈ん 牆辺耳あり防を欠く 塚中血は化す千年碧なり 九外屍は留・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・を造ろうとしたようなもので、その策は必ずしも無謀浅慮ではなかったが、ただ短兵急に功を急いで一時に根こそぎ老木を伐採したために不測の洪水を汎濫し、八方からの非難攻撃に包囲されて竟にアタラ九仭の功を一簣に欠くの失敗に終った。が、汎濫した欧化の洪・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・ョン・バンヤンの精神がありますならば、すなわちわれわれが他人から聞いたつまらない説を伝えるのでなく、自分の拵った神学説を伝えるでなくして、私はこう感じた、私はこう苦しんだ、私はこう喜んだ、ということを書くならば、世間の人はドレだけ喜んでこれ・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・れて光の子として神の前に立つ事である、而して此事たる現世に於て行さるる事に非ずしてキリストが再び現われ給う時に来世に於て成る事であるは言わずして明かである、平和を愛し、輿論に反して之を唱道するの報賞は斯くも遠大無窮である。 義き事のため・・・ 内村鑑三 「聖書の読方」
・・・この手紙は牧師の二度と来ぬように、謂わば牧師を避けるために書く積りで書き始めたものらしい。煩悶して、こんな手紙を書き掛けた女の心を、その文句が幽かに照し出しているのである。「先日おいでになった時、大層御尊信なすっておいでの様子で、お話に・・・ 著:オイレンベルクヘルベルト 訳:森鴎外 「女の決闘」
・・・ 娘は、手に持っていたろうそくに、せきたてられるので絵を描くことができずに、それをみんな赤く塗ってしまいました。 娘は、赤いろうそくを、自分の悲しい思い出の記念に、二、三本残していったのであります。五 ほんとうに穏や・・・ 小川未明 「赤いろうそくと人魚」
・・・それは、形式に囚われたのでなければ、このシンセリティを欠くものである。 小川未明 「動く絵と新しき夢幻」
・・・ 現時文壇の批評のあるもの、作品のあるものは、作者が筆を執っている時に果して自己を偽っていないか、世俗的観念が入っていないか疑わざるを得ない。斯くの如き批評や作品に人を動かす力の足らないのは当然である。既に形式的に出来上っているところの・・・ 小川未明 「動く絵と新しき夢幻」
出典:青空文庫