・・・当時隅田川上流の蒹葭と楊柳とはわたくしをして、セーヌ河上の風光と、並せてまたアンリ・ド・レニエーが抒情詩を追想せしめる便りとなったからである。今日文壇の士に向って仏蘭西の風光とその詩篇とを説くのは徒に遼豕の嗤を招ぐに過ぎないであろう。しかし・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・盛夏の一夕われハドソン河上の緑蔭を歩みし時驟雨を渡頭の船に避けしことあり。 漢土には白雨を詠じたる詩にして人口に膾炙するもの東坡が望湖楼酔書を始め唐韓かんあくが夏夜雨、清呉錫麒が澄懐園消夏襍詩なぞその類尠からず。彼我風土の光景互に相似た・・・ 永井荷風 「夕立」
・・・ 従って緒論に現われた先生は、出来得る限りの範囲において、われらが最近五十年間の豹変に対する説明を、箇条がきの如くに与えておられる。その内にはちょっとわれらの思い設けぬ解釈さえある。西洋人が予期せざる日本の文明に驚ろくのは、彼らが開化と・・・ 夏目漱石 「マードック先生の『日本歴史』」
・・・其以下婦人の悪徳を並べ立てたる箇条は読んで字の如く悪徳ならざるはなし。心騒しく眼恐しく云々、如何にも上流の人間にあるまじき事にして、必ずしも女の道に違うのみならず、男の道にも背くものなり。心気粗暴、眼光恐ろしく、動もすれば人に向て怒を発し、・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・ されば人民たる者が一国にいて公に行うべき事の箇条は、政府の政に比して幾倍なるを知るべからず。外国商売の事あり、内国物産の事あり、開墾の事あり、運送の事あり、大なるは豪商の会社より、小なるは人力車挽の仲間にいたるまで、おのおのその政を施・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・ 前章にいえる如く、当世の学者は一心一向にその思想を政府の政に凝らし、すでに過剰にして持てあましたる官員の中に割込み、なおも奇計妙策を政の実地に施さんとする者は、その数ほとんどはかるべからず。ただに今日、熱中奔走する者のみならず、内外に・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・実に教育の箇条は、前号にも述べたる如く極めて多端なりといえども、早くいえば、人々が天然自然に稟け得たる能力を発達して、人間急務の仕事を仕遂げ得るの力を強くすることなり。その天稟の能力なるものは、あたかも土の中に埋れる種の如く、早晩萌芽を出す・・・ 福沢諭吉 「家庭習慣の教えを論ず」
・・・一、旧藩地に私立の学校を設るは余輩の多年企望するところにして、すでに中津にも旧知事の分禄と旧官員の周旋とによりて一校を立て、その仕組、もとより貧小なれども、今日までの成跡を以て見れば未だ失望の箇条もなく、先ず費したる財と労とに報る丈けの・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
・・・に病人あるも勤めの身なればこれを捨てて出勤せざるを得ず、終日の来客も随分家内の煩雑なれども、勤めの家なれば止むことを得ず、酒を飲むも勤めの身、不養生も勤めの身、なお甚だしきは、偽を行い虚を言うも勤めの箇条に入ることあり。この家の趣を概してい・・・ 福沢諭吉 「教育の事」
・・・一 家の美風その箇条は様々なる中にも、最も大切なるは家族団欒相互に隠すことなきの一事なり。子女が何かの事に付き母に語れば父にも亦これを語り、父の子に告ぐることは母も之を知り、母の話は父も亦知るようにして、非常なる場合の外は一切万事に秘密・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
出典:青空文庫