・・・神父はわざと微笑しながら、片言に近い日本語を使った。「何か御用ですか?」「はい、少々お願いの筋がございまして。」 女は慇懃に会釈をした。貧しい身なりにも関らず、これだけはちゃんと結い上げた笄髷の頭を下げたのである。神父は微笑んだ・・・ 芥川竜之介 「おしの」
・・・と、お君のおきまり文句らしいのを聴くと、僕が西洋人なら僕の教えた片言を試みるのだろうと思われて、何だか厭な、小癪な娘だという考えが浮んだ。僕はいい加減に見つくろって出すように命じ、巻煙草をくわえて寝ころんだ。 まず海苔が出て、お君がちょ・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・しかも、一たび神様となるや、その権威は絶対であって、片言隻句ことごとく神聖視されて、敗戦後各分野で権威や神聖への疑義が提出されているのに、文壇の権威は少しも疑われていないのは、何たる怠慢であろうか。フランスのように多くの古典を伝統として持っ・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・安子は智慧も体も人なみより早かったが、何故か口が遅く、はじめは唖ではないかと思われたくらいで、四つになっても片言しか喋れなかった。しかし安子は口よりも顎で人を使い、人使いの滅法荒い子供だったが、母親は人使いの荒いのは気位の高いせいだとむしろ・・・ 織田作之助 「妖婦」
・・・『いかにあわれと思うらん』僕には片言のような詩しか口に出て来ないが、実際いつもそんな気持になるんです」「なるほど、なんだかそれは楽しそうですね。しかしなんという閑かな趣味だろう」「あっはっは。いや、僕はさっきその崖の上から僕の部屋の・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・若き頃、世にも興ある驕児たりいまごろは、人喜ばす片言隻句だも言えずさながら、老猿愛らしさ一つも無し人の気に逆らうまじと黙し居れば老いぼれの敗北者よと指さされもの言えば黙れ、これ、恥を知れよと袖をひかれ・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・自分でも、はっと思ったほど、私は不気嫌な答えかたをしてしまった。片言半句でも、ふるさとのことに触れられると、私は、したたか、しょげるのである。痛いのである。「それじゃ、たしかだ。」郵便屋は、桃の花の頬に、靨を浮べて笑った。「あなたは幸吉・・・ 太宰治 「新樹の言葉」
・・・作家ドウシハ、片言満了。貴作ニツキ、御自身、再検ネガイマス。真偽看破ノ良策ハ、一作、失エシモノノ深サヲ計レ。「二人殺シタ親モアル。」トカ。 知ルヤ、君、断食ノ苦シキトキニハ、カノ偽善者ノ如ク悲シキ面容ヲスナ。コレ、神ノ子ノ言。超人説ケル・・・ 太宰治 「創生記」
・・・のごときものは実に幼稚な子供の片言に過ぎないものになるであろう。 しかし、話の筋が通らなくては物足りないという観客が多数にあるかもしれない。それならばかつて漱石虚子によって試みられた「俳体詩」のようなものを作れば作れなくはない。 ほ・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・権威者の片言隻語までも信ずるの弊は云うまでもない事であるが、権威を過信する弊害はあながちこれらの枝葉の問題に止まらない。もっと根本的な大方針においてもまた然りである。 あらゆる方面で偉大な仕事をした人は自信の強い人である。科学者でも同様・・・ 寺田寅彦 「科学上における権威の価値と弊害」
出典:青空文庫