・・・千駄木時代の絵はがきのほかにはこれが唯一の形見になったのであったが、先生死後に絵の掛け物を一幅御遺族から頂戴した。 謡曲を宝生新氏に教わっていた。いつか謡って聞かされたときに、先生の謡は巻き舌だと言ったら、ひどいことを言うやつだと言って・・・ 寺田寅彦 「夏目漱石先生の追憶」
・・・ それからひと月もたって、B教授の形見だと言ってN国領事から自分の所へ送って来たのは大きな鋳銅製の虎の置き物であった。N教授の所へは同じ鋳物の象が来たそうである。たぶんみやげにでもするつもりでB教授が箱根あたりの売店で買い込んであったも・・・ 寺田寅彦 「B教授の死」
・・・ しかし林が一緒にこんにゃく売りについてきてくれるので、どんなに私は肩身がひろくなったろう。第一に林はこんにゃく売りを軽蔑するどころか、却って尊敬しているので、もうどんな意地悪共が、手を叩いてはやしたって、私はヘイチャラである。「ハ・・・ 徳永直 「こんにゃく売り」
・・・「それもそうだがな、片身に皮だけはとって置いたらどうしたもんだ」「どうでも仕てくろえ」 蚊帳の中は依然として動かなかった。二人は用意して来た出刃で毛皮を剥きはじめた。出刃が喉から腹の中央を過ぎて走った。ぐったりとなった憐れな赤犬・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・り、階段を上ること無慮四十二級、途中にて休憩する事前後二回、時を費す事三分五セコンドの後この偉大なる婆さんの得意なるべき顔面が苦し気に戸口にヌッと出現する、あたり近所は狭苦しきばかり也、この会見の栄を肩身狭くも双肩に荷える余に向って婆さんは・・・ 夏目漱石 「自転車日記」
・・・何となく自分が肩身の狭い心持ちがする。向うから人間並外れた低い奴が来た。占たと思ってすれ違って見ると自分より二寸ばかり高い。こんどは向うから妙な顔色をした一寸法師が来たなと思うと、これすなわち乃公自身の影が姿見に写ったのである。やむをえず苦・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・ペーンはそれをジッとききながら、ペーン アア、あの響が……シリンクスの姿に似た響があの美くしさのせめてもの形見になるのだ。一生死ぬまでこの響を聞いて居なくっちゃ私はあの美くしかった精女にすまない……ペーンは葦を切ってつたでか・・・ 宮本百合子 「葦笛(一幕)」
・・・ 生きなければならないばかりに栄蔵は、自分より幾代か前の見知らぬ人々の骨折の形見の田地を売り食いして居た。 働き盛りの年で居ながら、何もなし得ないで、やがては、見きりのついて居る田地をたよりに、はかない生をつづけて行かなければならな・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・ 私は一寸振返ったけれ共知らない人だったので黙って居ると、屏風の中に入って何かして居た其の人はやがて片身を外へ出して、「百合ちゃん一寸おいで、 好いものを見せてあげ様。と手招きをした。 私は何の気なしに、・・・ 宮本百合子 「追憶」
・・・子供達が学校へ行き、肩身のせまい思いをしないでもよかったかもしれない。 妻の道義は、貞操に関することばかりではない。母としての責任は、くつしたのつくろいだけのことではない。〔一九四八年十一月〕・・・ 宮本百合子 「妻の道義」
出典:青空文庫