・・・しかし過去を語るのは、覚めた後前夜の夢を尋ねて、これを人に向って説くのと同じである。 鴎外先生が『私が十四、五歳の時』という文に、「過去の生活は食ってしまった飯のようなものである。飯が消化せられて生きた汁になって、それから先の生活の土台・・・ 永井荷風 「十六、七のころ」
・・・と女は夢を語る人に向って云う。「蟻の夢は葛餅か」と相手は高からぬほどに笑う。「抜け出ぬか、抜け出ぬか」としきりに菓子器を叩くは丸い男である。「画から女が抜け出るより、あなたが画になる方が、やさしゅう御座んしょ」と女はまた髯にきく・・・ 夏目漱石 「一夜」
・・・しかしてこの一つの奇異なる事実――それが他人の趣味によつて選定されるといふこと――が、美術品や文学書の装幀に於ける最も興味ある哲学を語るものではないか。なぜといつて私の所有にかかはるところの油画は、それが他人の描いたものであるにかかはらず、・・・ 萩原朔太郎 「装幀の意義」
・・・扨又本章中、人を誹り偽を言う可らず、人の謗を伝え語る可らず云々は、固より当然のことにして、特に婦人に限らず男子に向ても警しむ可き所のものなれば、評論を略す。一 女は常に心遣ひして其身を堅く謹護べし。朝早く起き夜は遅く寝ね、昼は寝・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・かの魚彦がいたずらに『万葉』の語句を模して『万葉』の精神を失えるに比すれば、曙覧が語句を摸せずしてかえって『万葉』の精神を伝えたる伎倆は同日に語るべきにあらず。さわれ曙覧は徹頭徹尾『万葉』を擬せんと務めたるに非ず。むしろその思うままを詠みた・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・人は一瞬にして氷雲の上に飛躍し大循環の風を従えて北に旅することもあれば、赤い花杯の下を行く蟻と語ることもできる。罪や、かなしみでさえそこでは聖くきれいにかがやいている。深い椈の森や、風や影、肉之草や、不思議な都会、ベーリング市まで続・・・ 宮沢賢治 「『注文の多い料理店』新刊案内」
・・・溝口氏が益々奥ゆきとリズムとをもって心理描写を行うようになり、ロマンティシズムを語る素材が拡大され、男らしい生きてとして重さ、明察を加えて行ったらば、まことに見ものであると思う。〔一九三七年六月〕・・・ 宮本百合子 「「愛怨峡」における映画的表現の問題」
・・・ この男の語るところによれば、かれはそれを途上で拾ったが、読むことができないのでこれを家に持ち帰りその主人に渡したものである。 このうわさがたちまち近隣に広まった。アウシュコルンの耳にも達した。かれは直ちに家を飛びだしてこの一条の物・・・ 著:モーパッサン ギ・ド 訳:国木田独歩 「糸くず」
・・・樵夫は樵夫と相交って相語る。漁夫は漁夫と相交って相語る。予は読書癖があるので、文を好む友を獲て共に語るのを楽にして居た。然るに国民之友の主筆徳富猪一郎君が予の語る所を公衆に紹介しようと思い立たれて、丁度今猪股君が予に要求せられる通りに要求せ・・・ 森鴎外 「鴎外漁史とは誰ぞ」
・・・当時のカピタンたちの語るところによると、初めてギネア湾にはいってワイダあたりで上陸した時には、彼らは全く驚かされた。注意深く設計された街道が、幾マイルも幾マイルも切れ目なく街路樹に包まれている。一日じゅう歩いて行っても、立派な畑に覆われた土・・・ 和辻哲郎 「アフリカの文化」
出典:青空文庫