・・・単にフィルムの断片をはり合わせるだけで、一度現われたと寸分違わぬ光景を任意にいつでもカットバックしフラッシュバックすることもできる。東京の町とロンドンの町とを一瞬間に取り換えることもできる。また撮影速度の加減によって速いものをおそくも、おそ・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・結局トーキーの中のただ一片のカットを見物したと同じに、興味はただそれだけで泡のように消えてしまうのである。またある四つ辻で人々がけんかをしている。交番に引かれる。巡査が尋問する。人だかりがする。通りかかった私は立ち止まって耳を立てる。しかし・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・の伴奏を入れたのは大衆向きで結構であるが、城郭や帆船のカットバックが少しくど過ぎてかえって効果をそぐ恐れがありはしないか。自分がいつも繰り返して言うようにもし映画製作者に多少でも俳諧連句の素養があらば、こういうところでいくらでも効果的な材料・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・いわゆるカットバックの技巧で過去のシーンを現在に引きもどすことが随意にできるのもおもしろくないことはないが、これは言わば「フィルムの記憶」の利用であって、人間の脳の記憶の代用に過ぎない。しかし真に不思議なのはフィルムの逆行による時の流れの逆・・・ 寺田寅彦 「映画の世界像」
・・・ 医者が姫君を診察するとき、心臓の鼓動をかたどるチンパニの音、脈搏を擬する弦楽器のピッチカットもそんなにわざとらしくない。 モーリスの出現によって陰気なシャトーの空気の中に急に一道の明るい光のさし込むのを象徴するように、「ミミーの歌・・・ 寺田寅彦 「音楽的映画としての「ラヴ・ミ・トゥナイト」」
・・・この過程と、映画の一つ一つのカットの連続を見てその一つのシーンの内容を理解する過程とは大体において同じようなものである。映画の製作者はつまり文字の代りにフィルムの断片で文章をかいて、吾々はそれを読んで行くのである。文字の方はその意味を覚える・・・ 寺田寅彦 「教育映画について」
・・・展覧会場では、この二つの頂点の処の肝心な数コマが白紙で蔽われて「カット」されていたことからしてみると、相当に深刻な描写があって人間の隠れた本能を呼びさますものがあるものと見える。 全十二巻の詞書というものを売っていたので買ってみると、詞・・・ 寺田寅彦 「山中常盤双紙」
・・・第一ページには十七字集と題して、幼稚な、しかし美しい夢に満ちた俳句が、紫鉛筆や普通の鉛筆でかき並べてあって、その終わりの余白には当時はやった不折流のカットがかいてある。また自刻の印章――ボート形の内に竪琴と星を刻したの――が押してある。自分・・・ 寺田寅彦 「亮の追憶」
・・・遠ざかるから今少し狭く細かく写そうと思うて、月が木葉がくれにちらちらして居る所、即ち作者は森の影を踏んでちらちらする葉隠れの月を右に見ながら、いくら往ても往ても月は葉隠れになったままであって自分の顔をかっと照す事はない、という、こういう趣を・・・ 正岡子規 「句合の月」
・・・炭火はチラチラ青い焔を出し、窓ガラスからはうるんだ白い雲が、額もかっと痛いようなまっ青なそらをあてなく流れていくのが見えました。「お前、郷里はどこだ。」農夫長は石炭凾にこしかけて両手を火にあぶりながら今朝来た赤シャツにたずねました。・・・ 宮沢賢治 「耕耘部の時計」
出典:青空文庫