・・・ 一口に云えば、印刷になった彼女の小説を読むときは、それとして読むのであるが、特徴あるおかっぱのかの子さんの顔を見た刹那、どうしてもその作品がぱっと彼女のなかへ入ってしまわない。彼女と作品とが融合し溶け合わず、一つの肉体となってしまわな・・・ 宮本百合子 「作品の血脈」
・・・妻に送ったチェホフ書簡集の訳者はおかっぱだ。彼女は時々理髪店へ行かなければならない。帰ると、ホテルの部屋で小さくない騒ぎがある。彼女の日本の皮膚は、とてもこのロシア的チラチラを我慢できない。自分で背中は見えないから、私が土耳古風呂の女番人の・・・ 宮本百合子 「シナーニ書店のベンチ」
・・・ 千世子が、おかっぱと制服の裾を膨らませ、二階から駈け降りて来た。「お母様、工合がおわるいって?」「ええ。お姉様いつ帰ってらしったの」「今かえったの。――寝てらっしゃるの」 千世子は、何だか当惑そうに合点した。そして、少・・・ 宮本百合子 「白い蚊帳」
・・・硝子飾窓 ◎夕刊の鈴の音、 ◎古本ややさらさの布売の間にぼんやり香水の小さい商品をならべて居る大きな赧髭のロシア人 ◎気がついて見ると、大きな人だかりの中から、水兵帽をかぶり、ブロンドのおかっぱを清らげに頬にたれた蒼白い女の子が・・・ 宮本百合子 「一九二三年夏」
・・・ こないだまでその上でみんながスケートをやってたと思うモスクワ河には河童どもがいっぱいだ。 夕方、仕事から引きあげて来ると、もう早い連中が、河の堤の青い草の上へ服をぬぎすてて、バシャバシャやってる。裸身の親父がまだボシャボシャするこ・・・ 宮本百合子 「ソヴェト労働者の夏休み」
・・・紺サージの水兵帽からこぼれたおかっぱが、優美に、白く滑らかな頬にかかっている。男の子のようにさっぱりした服の体を二つに折り、膝に肱をついた両手で顔をかくしている。彼女は、正直な乱暴さで、ぐいと、左手の甲で眼を拭いた。二人の大人が云うことに耳・・・ 宮本百合子 「粗末な花束」
・・・ 茶料理で有名であり、河童忌や大観の落書きで知られた天然自笑軒が出来たのは、大正のことで、女中が提灯を下げて送って出るその門は、同じ田端でもずっと渡辺町よりにあった。 漱石は、本郷の千駄木町に住んでいたので初期の作品にはどれもよく団・・・ 宮本百合子 「田端の汽車そのほか」
・・・謡は謡ですんで、内田さん、芥川さん、互に恐ろしくテムポの速い、謂わば河童的――機智、学識、出鱈目――会話をされた。どんな題目だったかちっとも覚えていない。感心したり、同時にこの頃の芥川さんは、ああ話す好みなのかと思って眺めた感じが残っていま・・・ 宮本百合子 「田端の坂」
・・・母は、おかっぱの私の右手に筆を持たせ、我手をもち添えオトウサマ、ハヤクカエッテチョウダイ、ユリコと書かせるのであった。或夏の夜特別な燈火の下で母と子とがそうやっていたら、突然、桑田さんの方で泥棒! 泥棒! と叫ぶ声がして、バリバリ竹垣を踏破・・・ 宮本百合子 「中條精一郎の「家信抄」まえがきおよび註」
・・・ 或る大変吹き降りのする日に、学校から帰ると母の止めるのもきかずに合羽を着小さい奴傘を差して病院に出かけた。 多分独りだったと思う。 まだあんなに道路の改正されない間の本郷の大通りは雨が降るとゴタゴタになって今では想像もされ・・・ 宮本百合子 「追憶」
出典:青空文庫