・・・丁度午後のそういう時間が体操とかち合って、ここの学校の先生はさながら自分の肉体の柔軟さと力感と肺カツ量とをたのしむように空まで声をひびかせて、ソラソラソラ手をあげてハッ、ハッもう一ついきましょう、シッシッと。それは活溌です。女の子が声を揃え・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・後年、日本の女詩人与謝野晶子の健やかな双脚をして思わずもすくませたりという凱旋門をめぐる恐ろしい自動車の疾駆は未だ見えず、二頭びきの乗合馬車がカツカツと二十世紀初頭の街路を通っている。 書簡註。ランガム・ホテル全景。第・・・ 宮本百合子 「中條精一郎の「家信抄」まえがきおよび註」
・・・と思うとやや暫く立ってから、カツ! カツ! という音が耳へ来る。 手元を見ながら音をきくと、ウツカツ! ウツカツ! というようだ。「ウツカツ! ウツカツ! ウツ……」 だんだん音が微かになると、目の下には茂った森が現われた。・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
・・・また未だかつて妓楼に宿泊したことがなかった。 為永春水はまだ三鷺と云い、楚満人と云った時代から竜池と相識になってこの遊の供をした。竜池が人情本中に名を留むるに至ったのは此に本づいている。 竜池は我名の此の如くに伝播せらるるを忌まなか・・・ 森鴎外 「細木香以」
・・・で、戦争に勝つのはえらい大将やえらい参謀が勝たせるのではなくて、勇猛な兵卒が勝たせるのだとしてあれば、この観察の土台になっている個人主義を危険だとするのである。そんな風に穿鑿をすると同時に、老伯が素食をするのは、土地で好い牛肉が得られないか・・・ 森鴎外 「沈黙の塔」
・・・ もしもコンミニストが、此の文学の持つ科学のごとき特質を認めねばならぬとしたならば、彼らにして左様に認めねばならぬ理由のもとに於てさえ、なお且つ文学は生き生きと存在理由を発揮する。 文学がしかく科学のごとき素質を持ち、かくの・・・ 横光利一 「新感覚派とコンミニズム文学」
・・・貧、富、男、女、層々とした世紀の頁の上で、その前奏に於て号々し、その急速に於て驀激し、その伴奏に於てなお且つ奔闘し続ける、黙示の四騎士はこれである。もしも黙示の彼らが、かかる現前の諸相であると仮定したなら、彼らの中の勝者はいずれであるか。曾・・・ 横光利一 「黙示のページ」
・・・そして心理が浅くかつ足りない。その上かなり冗漫である。ストリンドベルヒはこれに反して社会の断層を描くのに自伝的の匂いをもって貫ぬいている。心理は鋭く、描写はカリカチュアに近いほど鮮やかである。しかも彼の心理観察の周密は常に描写のカリカチュア・・・ 和辻哲郎 「生きること作ること」
・・・彼は愛を以て勝つのである。真に人格を以て克つのである。我を以て争う時にはどんなに弱いものでも刃向って来る。嘲笑や皮肉によっては何者も征服せられない。偉人は卑しい者の内にも人間を見る。手におえないようなあばずれ者にも真に人間らしい本音を吐かせ・・・ 和辻哲郎 「自己の肯定と否定と」
・・・これでは汽車の時間にカツカツだ、まずくすると乗り遅れるかも知れない、あの時時計が止まってくれなければよかった、などと思う。しかし電車はすぐ来た。それがまた思ったよりも調子よく走る。人の乗り降りがあまりないので停車場などは止まったかと思うとす・・・ 和辻哲郎 「停車場で感じたこと」
出典:青空文庫