・・・下着類も案外汚れたのを平気で着て、これはもともとの気性だったが、なにか坂田は安心し、且つにわかに松本に対する嫉妬も感じた。 学生街なら、たいして老舗がついていなくても繁昌するだろうと、あちこち学生街を歩きまわった結果、一高が移転したあと・・・ 織田作之助 「雪の夜」
・・・ 二十日の暮れて間もない時分、カツカツとあわただしい下駄の音がしました。病人が例の耳で、「良吉だ、試験はよかったなあ」という間もなく入口ががらりと開いて「お母さん、はいりました」と言いつつ弟は台所に上って、声を上げて泣きだしました、この・・・ 梶井久 「臨終まで」
・・・「『カ』ちうとこへ行くの」「かつどうや」「活動や、活動やあ」と二三人の女の子がはやした。「ううん」と勝子は首をふって「『ヨ』ちっとこへ行くの」とまたやっている。「ようちえん?」「いやらし。幼稚園、晩にはあれへんわ・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・例の椀大のブリキ製の杯、というよりか常は汁椀に使用されているやつで、グイグイあおりながら、ある者は月琴を取り出して俗歌の曲を唄いかつ弾き、ある者は四竹でアメリカマーチの調子に浮かれ、ある者は悲壮な声を張り上げてロングサインを歌っている、中に・・・ 国木田独歩 「遺言」
・・・ 彼は其処につッ立って自分の方を凝と見て居る其眼つきを見て自分は更に驚き且つ怪しんだ。敵を見る怒の眼か、それにしては力薄し。人を疑う猜忌の眼か、それにしては光鈍し。たゞ何心なく他を眺る眼にしては甚決して気にしないで下さいな。気狂だと思っ・・・ 国木田独歩 「運命論者」
・・・輪廓といい、陰影といい、運筆といい、自分は確にこれまで自分の書いたものは勿論、志村が書いたものの中でこれに比ぶべき出来はないと自信して、これならば必ず志村に勝つ、いかに不公平な教員や生徒でも、今度こそ自分の実力に圧倒さるるだろうと、大勝利を・・・ 国木田独歩 「画の悲み」
・・・「だってそうじゃないかお前、今度の戦争だって日本の軍人が豪いから何時も勝つのじゃないか。軍人あっての日本だアね、私共は軍人が一番すきサ」 この調子だから自分は遂に同居説を持だすことが出来ない。まして品行の噂でも為て、忠告がましいこと・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・ 生命の法則についての英知があって、かつ現代の新生活の現実と機微とを知っている男女はこの二つの見方を一つの生活に融かして、夫婦道というものを考えばならぬ。 人間が、文化と、精神と霊とを持っているのでなかったら夫婦道というものは初めか・・・ 倉田百三 「愛の問題(夫婦愛)」
・・・何故に悪が善に勝つかということほど純直な童心をいたましめるものはないからだ。 彼は世界と人倫との究竟の理法と依拠とを求めずにはいられなかった。当時の学問と思想との文化的所与の下に、彼がそれを仏法に求めたのは当然であった。しかし仏法とは一・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・こいつくらい他人のキタないところをいつもかつもさぐっている奴は少ないであろう。自分のキタないところはまるで棚にあげて人が集って話をして居っても、あんまり口を出さずに、じいっとうしろの方から、人のアラをさがして見て居るような奴だ。おそらく、い・・・ 黒島伝治 「自画像」
出典:青空文庫