・・・彼等は、勝つことが出来ない強力な敵に遭遇したような緊張を覚えずにはいられなかった。 犬と人間との入り乱れた真剣な戦闘がしばらくつゞいた。銃声は、日本の兵士が持つ銃のとゞろきばかりでなく、もっとちがった別の銃声も、複雑にまじって断続した。・・・ 黒島伝治 「前哨」
・・・持主は自分の犬が勝つと喜び、負けると悲観する。でも、負けたって犬がやられるだけで、自分に怪我はない。利害関係のない者は、面白がって見物している。犬こそいい面の皮だ。 黒島伝治 「戦争について」
・・・と質すと、源三は術無そうに、かつは憐愍と宥恕とを乞うような面をして微に点頭た。源三の腹の中は秘しきれなくなって、ここに至ってその継子根性の本相を現してしまった。しかし腹の底にはこういう僻みを持っていても、人の好意に負くことは甚く心苦しく・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・むしろ、その死にいたるまでに、いかなる生をうけ、かつ送ったかにあらねばならない。 三 いやしくも、狂愚にあらざる以上、なんびとも永遠・無窮に生きたいとはいわぬ。しかも、死ぬなら天寿をまっとうして死にたいというのが、・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・ 故に人間の死ぬのは最早問題ではない、問題は実に何時如何にして死ぬかに在る、寧ろ其死に至るまでに如何なる生を享け且つ送りしかに在らねばならぬ。 三 苟くも狂愚にあらざる以上、何人も永遠・無窮に生きたいとは言わぬ、・・・ 幸徳秋水 「死生」
・・・ 或は曰く、長上に抗するは軍人の為す可らざる事、且つ為すを得ざるの事也。ドレフュー事件の際に於ける仏国軍人の盲従は、未だ以って彼等の道心欠乏を証するに足らずと。果して然る乎。 幸徳秋水 「ドレフュー大疑獄とエミール・ゾーラ」
・・・ 私は自分の娘が監獄にはいったからといって、救援会にノコ/\やってくるのが何だかずるいような気がしてならないのですが…… 娘は二三ヵ月も家にいないかと思っていると、よく所かつの警察から電話がかゝってきました。お前の娘を引きとるの・・・ 小林多喜二 「疵」
・・・先生は又、あの塾で一緒に仕事をしている大尉が土地から出た軍人だが、既に恩給を受ける身で、読みかつ耕すことに余生を送ろうとして、昔懐しい故郷の城址の側に退いた人であることを話した。「正木さんでも、私でも――矢張、この鉱泉の株主ということに・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・には、はいっていないのであるが、ほぼ同時代の作品ではあり、かつまたページ数の都合もあって、この第一巻にいれて置いた。 これらの作品はすべて、私自身にとっても思い出の深い作品ばかりであり、いまその目次を一つ一つ書き写していたら、世にめずら・・・ 太宰治 「『井伏鱒二選集』後記」
・・・ッチリウス・レグルスは、カルタゴ人に打ち勝って光栄の真中にあったのに、本国に書を送って、全体で僅か七アルペントばかりにしかならぬ自分の地処の管理を頼んでおいた小作人が、農具を奪って遁走したことを訴え、且つ、妻子が困っているといけないから帰国・・・ 太宰治 「『井伏鱒二選集』後記」
出典:青空文庫