・・・丁度あなた方のような若い人が、偉い人と思って敬意を持っている人の前に出ると、自分もその人のようになりたいと思う――かどうか知らんが、もしそう思うと仮定すれば、先輩が今まで踏んで来た径路を自分も一通り遣らなければ茲処に達せられないような気がす・・・ 夏目漱石 「模倣と独立」
・・・ 私がなぜそんな仮定をするかというと、この私は現に昔しこの学習院の教師になろうとした事があるのです。もっとも自分で運動した訳でもないのですが、この学校にいた知人が私を推薦してくれたのです。その時分の私は卒業する間際まで何をして衣食の道を・・・ 夏目漱石 「私の個人主義」
・・・近来はしばしば、家庭の不幸に遇い、心身共に銷磨して、成すべきことも成さず、尽すべきことも尽さなかった。今日、諸君のこの厚意に対して、心窃に忸怩たらざるを得ない。幼時に読んだ英語読本の中に「墓場」と題する一文があり、何の墓を見ても、よき夫、よ・・・ 西田幾多郎 「或教授の退職の辞」
・・・綜合というのは、これに反し定義、要請、公理等の過程によって結論を証明する、いわゆる幾何学的方法である。而して彼は彼の『省察録』において専ら分析的方法を取ったという。何となれば、幾何学においては、その根本概念が感官的直観と一致するが故に、それ・・・ 西田幾多郎 「デカルト哲学について」
・・・ その上にまた、最近家庭の事情も変化した。僕は数年前に妻と離別し、同時にまた父を失ってしまった。後には子供と母とが残ってるが、とにかく僕の生活は、昔に比して甚だ自由で伸々して来た。すくなくとも家庭上の煩いなどから、絶えず苛々して居た古い・・・ 萩原朔太郎 「僕の孤独癖について」
・・・その人は、社会的に尊敬され、家庭的に幸福でありながら、他の人の一生を棒に振ることも出来た。彼には三百六十五日の生活がある! 彼には、三百六十五日の死がある。―― 今度は、三ヵ月は娑婆で暮したいな、と思うと、凡そ百日間は、彼には娑婆の風が・・・ 葉山嘉樹 「乳色の靄」
・・・歳月の間に其子供等は小学を勉強して不孝の子となり、女大学を暗誦して婬婦となり、儒教の家庭より禽獣を出したるこそ可笑しけれ。左れば男女交際は外面の儀式よりも正味の気品こそ大切なれ。女子の気品を高尚にして名を穢すことなからしめんとならば、何は扨・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・視て無益なることを悟るといえども、特立特行、世の毀誉をかえりみざることは容易にでき難きことにて、その生徒の魂気の続くかぎりをつくさしめ、あえて他の能力の発育をかえりみるにいとまなく、これがために業成り課程を終て学校を退きたる者は、いたずらに・・・ 福沢諭吉 「文明教育論」
・・・私は大学へはいっていて、家庭教師にやとわれていたのです。ところがちょうど十二日目、今日か昨日のあたりです、船が氷山にぶっつかって一ぺんに傾きもう沈みかけました。月のあかりはどこかぼんやりありましたが、霧が非常に深かったのです。ところがボート・・・ 宮沢賢治 「銀河鉄道の夜」
・・・しかもそれは一人の前進的な人間の小市民的インテリゲンツィアからボルシェビキへの成長の過程であり、日本のプロレタリア解放運動とその文学運動の歴史のひとこまでもある。そのひとこまには濃厚に、日本の天皇制権力の野蛮さとそれとの抗争のかげがさしてい・・・ 宮本百合子 「巖の花」
出典:青空文庫