・・・ 私はその時だってほんとうは、松葉杖を突いてでなければ、歩けないほどに足が痛く、傷の内部は化膿していたのだ。 私は、その役にも立たない、腐った古行李をもう担いで歩くのが、迚も重くて、足に対して堪えられない拷問になって来た。 道は上げ・・・ 葉山嘉樹 「浚渫船」
・・・そこでは、あらゆることが可能である。人は一瞬にして氷雲の上に飛躍し大循環の風を従えて北に旅することもあれば、赤い花杯の下を行く蟻と語ることもできる。罪や、かなしみでさえそこでは聖くきれいにかがやいている。深い椈の森や、風や影、肉・・・ 宮沢賢治 「『注文の多い料理店』新刊案内」
・・・無限の間には無限の組合せが可能である。だから我々のまわりの生物はみな永い間の親子兄弟である。異教の諸氏はこの考をあまり真剣で恐ろしいと思うだろう。恐ろしいまでこの世界は真剣な世界なのだ。私はこれだけを述べようと思ったのである。」 私は会・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・ どうしたら、それが可能でしょうか。わたしの方法は、愛という観念を、あっち側から扱う方法です。人間らしくないすべての事情、人間らしくないすべての理窟とすべての欺瞞を憎みます。愛という感情が真実わたしたちの心に働いているとき、どうして漫画・・・ 宮本百合子 「愛」
・・・こういう点も、私の素人目に安心が出来るし、将来大きい作品をつくって行く可能性をもった資質の監督であることを感じさせた。 この作品が、日本の今日の映画製作の水準において高いものであることは誰しも異議ないところであろうと思う。一般に好評であ・・・ 宮本百合子 「「愛怨峡」における映画的表現の問題」
・・・ 社会の内部の複雑な機構に織り込まれて、労働においても、家庭生活においても、その最も複雑な部面におかれている婦人の諸問題を、それだけきりはなして解決しようとしても、それは絶対に不可能であった。世界を見わたせば、一つの国が、封建的な性質か・・・ 宮本百合子 「合図の旗」
・・・「――どうだね」 よって来る看守に向い、その人はやっと舌を動かして、「医者よんで下さい」と要求した。「化膿しちゃうわ。……歯ぐきと頬っぺたの肉がすっかり剥れちゃってるんだもの」「……詰らんもの呑んだりするからえげねん・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・和十は河東節の太夫、良斎は落語家、北渓は狩野家から出て北斎門に入った浮世絵師、竹内は医師、三竺、喜斎は按摩である。 竜池は祝儀の金を奉書に裹み、水引を掛けて、大三方に堆く積み上げて出させた。 竜池は涓滴の量だになかった。杯は手に取っ・・・ 森鴎外 「細木香以」
・・・川端氏は黄熟せる麦畑の写実によってそれの可能を実証してくれた。昨年の『慈悲光礼讃』に比べれば、その観照の着実と言い対象への愛と言い、とうてい同日に論ずべきでない。 が、この実証は自分に満足を与えたとは言えない。自分はこの種の写実の行なわ・・・ 和辻哲郎 「院展日本画所感」
・・・あの美しい幹も葉も、五月の風に吹かれて飛ぶ緑の花粉も、実はこのような苦労の上にのみ可能なのであった。 この時以来私は松の樹のみならず、あらゆる植物に心から親しみを感ずるようになった。彼らは我々とともに生きているのである。それは誰でも知っ・・・ 和辻哲郎 「樹の根」
出典:青空文庫