・・・憲法発布の翌年、大井幸子という婦人が自由党に加盟しようとした時、それは警察によって禁止された。「集会政社法」というものが出来て、婦人が政治演説を傍聴することを禁じた。 ここで私共は、一つの驚きを以て顧みる。日本の憲法というものは、何と外・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
・・・編輯は日本プロレタリア文化連盟に加盟しているいろいろの文化団体からの代表があつまってされているのです。『働く婦人』だけの事務所というものは、ですからありません。出版所の中でひっくるめて、いろいろの仕事がされているのでして、今さし当り、人手は・・・ 宮本百合子 「「我らの誌上相談」」
・・・りよは涙ぐんで亀井町の手前から引き返してしまった。内へはもう叔父が浜町から帰って、荷物を片附けていた。 浜町も矢の倉に近い方は大部分焼けたが、幸に酒井家の添邸は焼け残った。神戸家へ重々世話になるのは気の毒だと云うので、宇平一家はやはり遠・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・「女性なれば別して御賞美あり、三右衛門の家名相続被仰附、宛行十四人扶持被下置、追て相応の者婿養子可被仰附、又近日中奥御目見可被仰附」と云うのである。 十一日にりよは中奥目見に出て、「御紋附黒縮緬、紅裏真綿添、白羽二重一重」と菓子一折・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・君は私とは同じ石見人であるが、私は津和野に生れたから亀井家領内の人、君は所謂天領の人である。早くからドイツ語を専修しようと思い立って、東京へ出た。所々の学校に籍を置き、種々の教師に贄を執って見たが、今の立場から言えば、どの学校も、どの教師も・・・ 森鴎外 「二人の友」
・・・あとには男子に、短い運命を持った棟蔵と謙助との二人、女子に、秋元家の用人の倅田中鉄之助に嫁して不縁になり、ついで塩谷の媒介で、肥前国島原産の志士中村貞太郎、仮名北有馬太郎に嫁した須磨子と、病身な四女歌子との二人が残った。須磨子は後の夫に獄中・・・ 森鴎外 「安井夫人」
・・・まア、斎藤といっておきますが、これも仮名ですから、そのおつもりで。」 高田はそう梶に云ってから、この栖方は、特種な武器の発明を三種類も完成させ、いま最後の一つの、これさえ出来れば、勝利は絶対的確実だといわれる作品の仕上げにかかっている、・・・ 横光利一 「微笑」
・・・彼の著として伝わっている『仮名性理』あるいは『千代もと草』は、平易に儒教道徳を説いたものであるが、しかし実は、彼の著書であるかどうか不明のものである。同じ書は『心学五倫書』という題名のもとに無署名で刊行されていた。初めは熊沢蕃山が書いたと噂・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
・・・安倍君と同じ組には魚住影雄、小山鞆絵、宮本和吉、伊藤吉之助、宇井伯寿、高橋穣、市河三喜、亀井高孝などの諸君がいたが、安倍君のほかには漱石に近づいた人はなく、そのあと、私の前後の三、四年の間の知友たちの間にも、一人もなかった。木曜会で初めて近・・・ 和辻哲郎 「漱石の人物」
出典:青空文庫