・・・二年間の鳥籠の歴史は先ずこんなものであるが、意外な事には前にこの鳥籠を借る事について周旋してもろうた黙語氏はその後すぐ西洋へ往たのであったが、最早二、三ヶ月の中に帰って来られるそうな。あるいは面会が出来るであろうと楽しんで居る。黙語氏が一昨・・・ 正岡子規 「病牀苦語」
・・・さあみんなよっく火にあだれ、おらまた草刈るがらな。」 霧がふっと切れました。日の光がさっと流れてはいりました。その太陽は、少し西のほうに寄ってかかり、幾片かの蝋のような霧が、逃げおくれてしかたなしに光りました。 草からはしずくがきら・・・ 宮沢賢治 「風の又三郎」
・・・あっち側からとこっち側からと草刈りに来る村人たちは大方領主がそれぞれちがっていて、地境にある草地の草を、どっちが先に刈るかというような争いから、丁髷を振り立てて鎌戦さになることがあったのだろう。 明治の政府になってから五年目に安場保和の・・・ 宮本百合子 「村の三代」
・・・折々はまた名を署せずに、もしくは人の知らぬ名を署して新聞紙を借ることもある。今予に耳を借す公衆は、不思議にも柵草紙の時代に比して大差はない。予は始から多く聴者を持っては居なかった。ただ昔と今との相違は文壇の外に居るので、新聞紙で名を弄ばれる・・・ 森鴎外 「鴎外漁史とは誰ぞ」
・・・ 子供らの母は最初に宿を借ることを許してから、主人の大夫の言うことを聴かなくてはならぬような勢いになった。掟を破ってまで宿を貸してくれたのを、ありがたくは思っても、何事によらず言うがままになるほど、大夫を信じてはいない。こういう勢いにな・・・ 森鴎外 「山椒大夫」
・・・柴を苅る所は、麓から遠くはない。ところどころ紫色の岩の露われている所を通って、やや広い平地に出る。そこに雑木が茂っているのである。 厨子王は雑木林の中に立ってあたりを見廻した。しかし柴はどうして苅るものかと、しばらくは手を着けかねて、朝・・・ 森鴎外 「山椒大夫」
・・・大阪で篠崎の塾に通ったのも、篠崎に物を学ぶためではなくて、書物を借るためであった。芝の金地院に下宿したのも、書庫をあさるためであった。この年に三女登梅子が急病で死んで、四女歌子が生まれた。 そのつぎの年に藩主が奏者になられて、仲平に押合・・・ 森鴎外 「安井夫人」
・・・そして私の頭には百姓とともに枯れ草を刈るトルストイの面影と、地獄の扉を見おろして坐すべきあの「考える人」の姿とが、相並んで浮かび出た。私は石の上に腰をおろして、左の肱を右の膝に突いて、顎を手の甲にのせて、――そして考えに沈んだ。残った舟はも・・・ 和辻哲郎 「生きること作ること」
・・・公共の任務のために忙しく自動車を駆るものは致し方がないが、私利をはかるために、またはホテルで踊るために、自動車を駆るものに対しては、父は何を感ずるであろう。天下万民が「おのおのその志を遂げ、人心をして倦まざらしめんことを要す」とは、明治大帝・・・ 和辻哲郎 「蝸牛の角」
出典:青空文庫