元和か、寛永か、とにかく遠い昔である。 天主のおん教を奉ずるものは、その頃でももう見つかり次第、火炙りや磔に遇わされていた。しかし迫害が烈しいだけに、「万事にかない給うおん主」も、その頃は一層この国の宗徒に、あらたかな・・・ 芥川竜之介 「おぎん」
・・・その弟の主水重昌は、慶長十九年大阪冬の陣の和が媾ぜられた時に、判元見届の重任を辱くしたのを始めとして、寛永十四年島原の乱に際しては西国の軍に将として、将軍家御名代の旗を、天草征伐の陣中に飜した。その名家に、万一汚辱を蒙らせるような事があった・・・ 芥川竜之介 「忠義」
・・・ただ、私の記憶によりますと、仲入りの前は、寛永御前仕合と申す講談でございました。当時の私の思量に、異常な何ものかを期待する、準備的な心もちがありはしないかと云う懸念は、寛永御前仕合の講談を聞いたと云うこの一事でも一掃されは致しますまいか。・・・ 芥川竜之介 「二つの手紙」
・・・ 官営また私営の純粋な科学研究を目的とする研究所も少数にはある。そういう処は比較的最も自由な学者の楽天地である。しかしそういう処でも「絶対の自由」などという夢のようなものはおよそ有りそうもないようである。そういう理想郷の住民でも、時々は・・・ 寺田寅彦 「学問の自由」
・・・ 津浪の恐れのあるのは三陸沿岸だけとは限らない、寛永安政の場合のように、太平洋沿岸の各地を襲うような大がかりなものが、いつかはまた繰返されるであろう。その時にはまた日本の多くの大都市が大規模な地震の活動によって将棋倒しに倒される「非常時・・・ 寺田寅彦 「津浪と人間」
・・・江戸でも慶長寛永寛政文政のころの記録がある。耽奇漫録によると文政七年の秋降ったものは、長さの長いのは一尺七寸もあったとある。この前後伊豆大島火山が活動していた事が記録されているが、この時ちょうど江戸近くを通った台風のためにぐあい・・・ 寺田寅彦 「化け物の進化」
・・・臨時工として種々の官営、民営工場に雇われ、工業部門に参加するようになって来た女の数はおびただしいものがあろう。市内のある工廠で一挙に数百人の女工を求めて来たので、市の紹介所は、小紡績工場の操短で帰休している娘たちを八王子辺から集めて、やっと・・・ 宮本百合子 「新しい婦人の職場と任務」
・・・ 宗達は能登の人、こまかい伝記はつまびらかでないが寛永年間に加賀侯に仕え、光琳によって大成された装飾的な画風を創めた画家である。と辞典に短かく書かれてある。 なるほど、小さい絵はがきに見るこの源氏物語図屏風にしろ、魅力をもって先ず私・・・ 宮本百合子 「あられ笹」
・・・ 明け暮れのたつきは小役人として過しており、芸術に向う心では釣月軒として自分と周囲の生活とを眺めている宗房の目に映る寛永年代の江戸は、家光の治世で、貿易のことがはじまり、大名旗本の経済は一面の逸遊の風潮とともに益々逼迫しつつあった。米価・・・ 宮本百合子 「芭蕉について」
・・・そして、官営である日本の放送事業は、個人経営のアメリカなどとは違う。「その組織経営の優秀性は」「世界各国の放送事業中最も公益的色彩を濃厚にするものであり、従ってその具体的表現としてのプログラムも特異の存在を示している。我が番組編成の指導方針・・・ 宮本百合子 「「ラジオ黄金時代」の底潮」
出典:青空文庫