・・・一例を挙げるならば、近き過去において自然主義者から攻撃を享けた享楽主義と観照論当時の自然主義との間に、一方がやや贅沢で他方がややつつましやかだという以外に、どれだけの間隔があるだろうか。新浪漫主義を唱える人と主観の苦悶を説く自然主義者との心・・・ 石川啄木 「時代閉塞の現状」
・・・新浪漫主義を唱える人と主観の苦悶を説く自然主義者との心境にどれだけの扞格があるだろうか。淫売屋から出てくる自然主義者の顔と女郎屋から出てくる芸術至上主義者の顔とその表れている醜悪の表情に何らかの高下があるだろうか。すこし例は違うが、小説「放・・・ 石川啄木 「時代閉塞の現状」
・・・実人生と何らの間隔なき心持をもって歌う詩ということである。珍味ないしはご馳走ではなく、我々の日常の食事の香の物のごとく、しかく我々に「必要」な詩ということである。――こういうことは詩を既定のある地位から引下すことであるかもしれないが、私から・・・ 石川啄木 「弓町より」
・・・ 歩を転じてかしこなる躑躅の丘に上らんとて、池に添いつつ歩めるとき、かなたより来たりたる、一群れの観客あり。 一個洋服の扮装にて煙突帽を戴きたる蓄髯の漢前衛して、中に三人の婦人を囲みて、後よりもまた同一様なる漢来れり。渠らは貴族の御・・・ 泉鏡花 「外科室」
・・・茶店の娘とその父は、感に堪えた観客のごとく、呼吸を殺して固唾を飲んだ。 ……「ああ、お有難や、お有難い。トンと苦悩を忘れました。お有難い。」と三味線包、がっくりと抜衣紋。で、両掌を仰向け、低く紫玉の雪の爪先を頂く真似して、「かように穢い・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・―― 今思うと、手を触れた稚児の頭も、女か、男か、不思議にその感覚が残らぬ。気は涼しかったが、暑さに、いくらか茫としたものかも知れない。「娘さん、町から、この坂を上る処に、お宮がありますわね。」「はい。」「何と言う、お社です・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・ と思う内に、車は自分の前、ものの二三間隔たる処から、左の山道の方へ曲った。雪の下へ行くには、来て、自分と摺れ違って後方へ通り抜けねばならないのに、と怪みながら見ると、ぼやけた色で、夜の色よりも少し白く見えた、車も、人も、山道の半あたり・・・ 泉鏡花 「星あかり」
・・・に以前の単純の時代と反対に、自分にはとにかく妻というものができ、一方には元の恋中の女が独身でいて、しかもどうやら自分の様子に注意しているらしく思われる境涯、年若な省作にはあまりに複雑すぎた位置である。感覚の働きが鈍ったわけではないけれど、感・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・夏目漱石さんはあらゆる方面の感覚にデリケートだったのは事実だろうが、別けても色に対する感覚は特にそうだったと思う。「ブリウブラックを使えば帳面を附けているような気がする」と好く言われた。 その割に原稿は極めてきたなかった。句読の切り方な・・・ 内田魯庵 「温情の裕かな夏目さん」
・・・それでこの本を読む人はことごとく同じ感覚を持つだろうと思います。実に今より百年ばかり前のことをわれわれの目の前に活きている画のように、ソウして立派な画人が書いてもアノようには書けぬというように、フランス革命のパノラマを示してくれたものはこの・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
出典:青空文庫