・・・と、感傷的に父を責め始めた。「だからさ、だから今日は谷村博士に来て貰うと云っているんじゃないか?」 賢造はとうとう苦い顔をして、抛り出すようにこう云った。洋一も姉の剛情なのが、さすがに少し面憎くもなった。「谷村さんは何時頃来てく・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・この事実は当時の感傷的な僕には妙に象徴らしい気のするものだった。 それから五六日たった後、僕は偶然落ち合ったKと彼のことを話し合った。Kは不相変冷然としていたのみならず、巻煙草を銜えたまま、こんなことを僕に尋ねたりした。「Xは女を知・・・ 芥川竜之介 「彼」
・・・のみならず僕は彼がうたった万葉集の歌以来、多少感傷主義に伝染していた。「ニニイだね。」「さもなければ僕の中の声楽家だよ。」 彼はこう答えるが早いか、途方もなく大きい嚔めをした。 五 ニイスにいる彼の・・・ 芥川竜之介 「彼 第二」
・・・しかしわたしはそれよりも先に、戯曲と云わず小説と云わず、彼の観照に方向を与えた、ショオの影響を数え上げたい。ショオの言葉に従えば、「あらゆる文芸はジャアナリズムである。」こう云う意識があったかどうか、それは問題にしないでも好い。が、菊池はシ・・・ 芥川竜之介 「「菊池寛全集」の序」
・・・もし多少の誇張を許すなら、己の袈裟に対する愛なるものも、実はこの欲望を美しくした、感傷的な心もちに過ぎなかった。それが証拠には、袈裟との交渉が絶えたその後の三年間、成程己はあの女の事を忘れずにいたにちがいないが、もしその以前に己があの女の体・・・ 芥川竜之介 「袈裟と盛遠」
・・・ 鑑賞 芸術の鑑賞は芸術家自身と鑑賞家との協力である。云わば鑑賞家は一つの作品を課題に彼自身の創作を試みるのに過ぎない。この故に如何なる時代にも名声を失わない作品は必ず種々の鑑賞を可能にする特色を具えている。しかし種々の・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・尤も僕の鑑賞眼は頗る滝田君には不評判だった。「どうも芥川さんの美術論は文学論ほど信用出来ないからなあ。」――滝田君はいつもこう言って僕のあき盲を嗤っていた。 滝田君が日本の文芸に貢献する所の多かったことは僕の贅するのを待たないであろう。・・・ 芥川竜之介 「滝田哲太郎氏」
・・・あるいは一歩進めて、鑑賞上における彼自身の優越を私に印象させようと思っていたのかも知れない。しかし彼の期待は二つとも無駄になった。彼の話を聞くと共に、ほとんど厳粛にも近い感情が私の全精神に云いようのない波動を与えたからである。私は悚然として・・・ 芥川竜之介 「沼地」
・・・十三世紀におけるフィレンツェの生活を知らなかったとしたら、自分は神曲を、今日の如く鑑賞する事は出来なかったのに相違ない。自分は云う、あらゆる芸術の作品は、その製作の場所と時代とを知って、始めて、正当に愛し、かつ、理解し得られるのである。……・・・ 芥川竜之介 「野呂松人形」
・・・そうしてこれはしばしば後者の一つの属性のごとく取扱われてきたにかかわらず、近来(純粋自然主義が彼の観照の傾向は、ようやく両者の間の溝渠のついに越ゆべからざるを示している。この意味において、魚住氏の指摘はよくその時を得たものというべきである。・・・ 石川啄木 「時代閉塞の現状」
出典:青空文庫