・・・近県近郷の学校の教師、無論学生たち、志あるものは、都会、遠国からも見学に来り訪うこと、須賀川の牡丹の観賞に相斉しい。で、いずれの方面からも許されて、その旦那の紳士ばかりは、猟期、禁制の、時と、場所を問わず、学問のためとして、任意に、得意の猟・・・ 泉鏡花 「神鷺之巻」
・・・椿岳の伝統を破った飄逸な画を鑑賞するものは先ずこの旧棲を訪うて、画房や前栽に漾う一種異様な蕭散の気分に浸らなければその画を身読する事は出来ないが、今ではバラックの仮住居で、故人を偲ぶ旧観の片影をだも認められない。 寒月の名は西鶴の発見者・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・とかいう言葉は今でも折々繰返されてるが、斯ういう軽侮語を口にするものは、今の文学を研究して而して後鑑賞するに足らざるが故に軽侮するのではなくて、多くは伝来の習俗に俘われて小説戯曲其物を頭から軽く見ているからで、今の文学なり作家なりを理解して・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・近代の忙だしい騒音や行き塞った苦悶を描いた文芸の鑑賞に馴れた眼で見るとまるで夢をみるような心地がするが、さすがにアレだけの人気を買った話上手な熟練と、別してドッシリした重味のある力強さを感ぜしめるは古今独歩である。 二 ・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・近松でも西鶴でも内的概念よりはヨリ多くデリケートな文章味を鑑賞して、この言葉の綾が面白いとかこの引掛けが巧みだとかいうような事を能く咄した。また紅葉の人生観照や性格描写を凡近浅薄と貶しながらもその文章を古今に匹儔なき名文であると激賞して常に・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・また紅葉の人生観照や性格描写を凡近浅薄と貶しながらもその文章を古今に匹儔なき名文であると激賞して常に反覆細読していた。最も驚くべきは『新声』とか何々文壇とかいうような青年寄書雑誌をすらわざわざ購読して、中学を卒業したかそこらの無名の青年の文・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・ 文相既にかくの如くだから、女学校の先生たちは盛んに男女交際を鼓舞し、結婚の自由を主張し、男女の学生が自由に往来するを少しも干渉しないのみならず、教師自身が率先して種々の名目の下に青年男女を会同し、自由に野方図に狎戯け散らすのを寛大に見・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・秋から冬にかけて木枯の寒い晩に一人の女性が、人生に感傷して歩いていたと云う姿が浮んで来る。自己対自然と云う悠遠な感じがどの作品にも脉打つように流れている。 僕はそれ等の作品を目して、セルフがはっきりと出ているからだと云いたい。それは即ち・・・ 小川未明 「動く絵と新しき夢幻」
・・・ 子守唄は子供を寝かしつけるための歌であり、又舟乗りの唄は、舟をこぐ苦労を忘れるための歌であり、糸とりの唄はたゞその唄う歌の節に少女自からを涙ぐましむることによって自らを感傷的な気持にすれば足りるというであろう。そういうような単純な目的・・・ 小川未明 「詩の精神は移動す」
・・・これを冷静に批評し得るほどの観察力観照力は、長い月日の間に、遅々として獲得するよりほかに方法はない。 こゝに初めて読書するということが有効になって来る。それは経験に直接即するよりも、遙かに秩序的であり組織的であるからである。更に詳しく述・・・ 小川未明 「文章を作る人々の根本用意」
出典:青空文庫