・・・とは私共に解らんで……」と莞爾微笑てそのまま首を引込めて了った。 真蔵は直ぐ書斎に返ってお源の所為に就て考がえたが判断が容易に着ない。お源は炭を盗んでいるところであったとは先ず最初に来る判断だけれど、真蔵はそれをそのまま確信することが出・・・ 国木田独歩 「竹の木戸」
・・・子どもを可愛がる夫婦というのはよそ目にも美しく、その家庭は安泰な感じがするものだ。 人間は社会生活をして生きているから、夫婦の生活をささえ子どもを養、教育していくことは生活の「たたかい」を意味する。この闘いに協同戦線を張って助け合うこと・・・ 倉田百三 「愛の問題(夫婦愛)」
・・・ 空腹のとき、肉や刺身を食うと、それが直ちに、自分の血となり肉となるような感じがする。読んでそういう感じを覚える作家や、本は滅多にないものだ。 僕にとって、トルストイが肥料だった。が、トルストイは、あまりに豊富すぎる肥料で、かえって・・・ 黒島伝治 「愛読した本と作家から」
・・・その別に取立てて云うほどの何があるでも無い眼を見て、初めて夫がホントに帰って来たような気がし、そしてまた自分がこの人の家内であり、半身であると無意識的に感じると同時に、吾が身が夫の身のまわりに附いてまわって夫を扱い、衣類を着換えさせてやった・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・どれどれ今日は三四日ぶりで家へ帰って、叔父さん叔父さんてあいつめが莞爾顔を見よう、さあ、もう一服やったら出掛けようぜ」と高話して、やがて去った。これを聞いていた源三はしくしくしくしくと泣き出したが、程立って力無げに悄然と岩の間から出て、流の・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・晩成先生は莞爾とした。今行くよーッと思わず返辞をしようとした。途端に隙間を漏って吹込んで来た冷たい風に燈火はゆらめいた。船も船頭も遠くから近くへ飄として来たが、また近くから遠くへ飄として去った。唯これ一瞬の事で前後はなかった。 屋外は雨・・・ 幸田露伴 「観画談」
・・・すると丹泉は莞爾と笑って、「この鼎は実は貴家から出たのでござりまする。かつて貴堂において貴鼎を拝見しました時、拙者はその大小軽重形貌精神、一切を挙げて拙者の胸中に了りょうりょうと会得しました。そこで実は倣ってこれを造りましたので、あり体に申・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・そして名宛の左側の、親展とか侍曹とか至急とか書くべきところに、閑事という二字が記されてあった。閑事と表記してあるのは、急を要する用事でも何んでも無いから、忙がしくなかったら披いて読め、他に心の惹かれる事でもあったら後廻しにしてよい、という注・・・ 幸田露伴 「野道」
・・・と呼びかけて亭主のいうに、ちょっと振りかえって嬉しそうに莞爾笑い、「いいよ、黙って待っておいで。 たちまち姿は見えずなって、四五軒先の鍛冶屋が鎚の音ばかりトンケンコン、トンケンコンと残る。亭主はちょっと考えしが、「ハテナ、近・・・ 幸田露伴 「貧乏」
・・・そして、その真実なるをたしかめえたときに、どんなに情けなく、あさましく、かなしく、恥ずかしくも感じたことであろう。なかでも、わたくしの老いたる母は、どんなに絶望の刃に胸をつらぬかれたであろう。 されど、今のわたくし自身にとっては、死刑は・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
出典:青空文庫