・・・それから乾草がよい。乾草車を大きな角の牛が二頭でひく、馬は有名なコーカサス馬だから、ふつうの貸馬車が二頭立で山坂をのぼります。 今日は朝ピヤチゴルスクを出て、今はミネラーリヌイヴォドイというステーションのレストランでこのハガキを書いてい・・・ 宮本百合子 「ロシアの旅より」
・・・侵略された内部の皮膚は乾燥した白い細粉を全面に漲らせ、荒された茫々たる沙漠のような色の中で、僅かに貧しい細毛が所どころ昔の激烈な争いを物語りながら枯れかかって生えていた。だが、その版図の前線一円に渡っては数千万の田虫の列が紫色の塹壕を築いて・・・ 横光利一 「ナポレオンと田虫」
・・・たとえば私は四五日前に大家と称せらるるある人の感想を読んでその人の製作を考えてみた。彼は「事実」に即するつもりでいる。また実際「事実」を持っている。しかしそれは浅い生ぬるい事実に過ぎなかった。けれども彼はもっと深い事実を示す多くの思想や言葉・・・ 和辻哲郎 「転向」
・・・この機会に自分も一つの感想を述べたい。 今からもう十八年の昔になるが、自分は『古寺巡礼』のなかで伎楽面の印象を語るに際して、「能の面は伎楽面に比べれば比較にならぬほど浅ましい」と書いた。能面に対してこれほど盲目であったことはまことに慚愧・・・ 和辻哲郎 「能面の様式」
出典:青空文庫