・・・――僕は、この簡素な舞台を見て非常にいい心もちがした。「人形には、男と女とあってね、男には、青頭とか、文字兵衛とか、十内とか、老僧とか云うのがある。」Kは弁じて倦まない。「女にもいろいろありますか。」と英吉利人が云った。「女には・・・ 芥川竜之介 「野呂松人形」
・・・という言葉のようにざっと数えて三十ぐらいの意味に使えるほどの豊富なニュアンスはなく、結局京都弁は簡素、単純なのである。 まるで日本の伝統的小説である身辺小説のように、簡素、単純で、伝統が作った紋切型の中でただ少数の細かいニュアンスを味っ・・・ 織田作之助 「大阪の可能性」
・・・当時純粋戯曲というものを考えていた私は、戯曲は純粋になればなるほど形式が単純になり、簡素になり、お能はその極致だという結論に達していたが、しかし、純粋小説とは純粋になればなるほど形式が不純になり、複雑になり、構成は何重にも織り重って遠近法は・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・是非も無い、簡素な晩食は平常の通りに済まされたが、主人の様子は平常の通りでは無かった。激しているのでも無く、怖れているのでも無いらしい。が、何かと談話をしてその糸口を引出そうとしても、夫はうるさがるばかりであった。サア、まことの糟糠の妻たる・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・如何に高貴の身分家柄でも生活さえ困難であった。織田信長より前は、禁庭御所得はどの位であったと思う。或記によればおよそ三千石ほどだったというのである。如何に簡素清冷に御暮しになったとて、三千石ではどうなるものでもない。ましてお公卿様などは、そ・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・もっと自分を新鮮に、そして簡素にすることは無いか。そのために、彼は他にもあった教師の口を断り、すこし土でも掘って見ようと思って、わざわざこの寂しい田舎へ入って来た。「高瀬さん、一体貴方はお幾つなんですか――」 桜井先生の奥さんは・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・とうさんのことですから、いっさい簡素を旨とするつもりです。生活を変えるとは言っても、加藤さんに家へ来てもらって、今までどおりに質素に暮らして行こうというだけのことです。 期日は十一月の三日ということに先方とも打ち合わせました。当日は星が・・・ 島崎藤村 「再婚について」
・・・街のプラタナスの今年の落葉は、「簡素のなかの美しさ」という立看板に散りかかっている。パン屋や菓子屋の店さきのガラス箱にパンや菓子がないように、女は自分の帽子なしで往来を歩いていても不思議がらないような日々の感情になって来た。 女の無智や・・・ 宮本百合子 「新しい美をつくる心」
・・・若さという魔法つかいは、どんな真面目な話題も、簡素なたのしみもそこに青春の男女があれば、魅力的なものにします。下らないエロ雑誌に刺戟されて、働く若い人たちが人間としてならずもののような無責任な男女関係に入ることはあんまり青春の価値を知らなす・・・ 宮本百合子 「悔なき青春を」
・・・出来るなら、簡素なハーフ・ティンバーの平屋にし、冬は家中を暖める丈の、暖房装置が欲しゅうございます。 道路と庭との境は、低い常盤木の生垣とし、芝生の、こんもり樹木の繁った小径を、やや奥に引込んだ住居まで歩けたら、どんなに心持がよいでしょ・・・ 宮本百合子 「書斎を中心にした家」
出典:青空文庫