・・・ 就職のことその他 今月号『働く婦人』の巻頭の檄にあるとおり、つい先頃、日本プロレタリア文化連盟に加えられた理由のない弾圧のため『働く婦人』直接購読者の一部に被害があるらしいことを非常に心配しているところなので・・・ 宮本百合子 「「我らの誌上相談」」
・・・それに何事ぞ、奸盗かなんぞのように、白昼に縛首にせられた。この様子で推すれば、一族のものも安穏には差しおかれまい。たとい別に御沙汰がないにしても、縛首にせられたものの一族が、何の面目あって、傍輩に立ち交わって御奉公をしよう。この上は是非にお・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・田辺攻の時、関東に御出遊ばされ候三斎公は、景一が外戚の従弟たる森三右衛門を使に田辺へ差立てられ候。森は田辺に着いたし、景一に面会して御旨を伝え、景一はまた赤松家の物頭井門亀右衛門と謀り、田辺城の妙庵丸櫓へ矢文を射掛け候。翌朝景一は森を斥候の・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
・・・ここより薬師堂の方を、六里ばかり越ゆけば草津に至るべし、是れ間道なり。今年の初、欧洲人雪を侵して越えしが、むかしより殆ためしなき事とて、案内者もたゆたいぬと云。 廿四日、天気好し。隣の客つとめて声高に物語するに打驚きて覚めぬ。何事かと聞・・・ 森鴎外 「みちの記」
・・・狭い間道をくぐる思いで、梶は質問の口を探しつづけた。「俳句は古くからですか。」 これなら無事だ、と思われる安全な道が、突然二人の前に開けて来た。「いえ、最近です。」「好きなんですね。」「おれのう、頭の休まる法はないものか・・・ 横光利一 「微笑」
・・・ 自分はこの書を読み始めた時に、巻頭においてまず強い激動を受けた。それは自分がアフリカのニグロについて何も知らなかったせいでもあるが、また同時に英米人の祖先たちがアフリカに対して何をなしたかを知らなかったせいでもある。自分はここにその個・・・ 和辻哲郎 「アフリカの文化」
・・・これがきっかけとなって、北条早雲の関東制覇の仕事が始まったのである。彼が伊豆堀越御所を攻略して、伝統に対する実力の勝利を示したのは、延徳三年すなわち加賀の一向一揆の三年後であった。やがて明応四年には小田原城を、永正十五年には相模一国を征服し・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
・・・同君と木村荘八君との共著『大同石仏寺』が出たのは関東震災よりも前である。これでよほどはっきりして来たが、しかしまだ雲岡の全貌を伝えるには足りなかった。その後二十年くらいたって、奈良の飛鳥園が撮影しに行き、『雲岡石窟大観』という写真集を出した・・・ 和辻哲郎 「麦積山塑像の示唆するもの」
関東大震災の前数年の間、先輩たちにまじって露伴先生から俳諧の指導をうけたことがある。その時の印象では、先生は実によく物の味のわかる人であり、またその味を人に伝えることの上手な人であった。俳句の味ばかりでなく、釣りでも、将棋でも、その他・・・ 和辻哲郎 「露伴先生の思い出」
出典:青空文庫