・・・そのほか発句も出来るというし、千蔭流とかの仮名も上手だという。それも皆若槻のおかげなんだ。そういう消息を知っている僕は、君たちさえ笑止に思う以上、呆れ返らざるを得ないじゃないか?「若槻は僕にこういうんだ。何、あの女と別れるくらいは、別に・・・ 芥川竜之介 「一夕話」
・・・彼はとうとう机の下の漢和辞書を枕にしながら、ごろりと畳に寝ころんでしまった。 すると彼の心には、この春以来顔を見ない、彼には父が違っている、兄の事が浮んで来た。彼には父が違っている、――しかしそのために洋一は、一度でも兄に対する情が、世・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・ 幸に箸箱の下に紙切が見着かった――それに、仮名でほつほつとと書いてあった。 祖母は、その日もおなじほどの炎天を、草鞋穿で、松任という、三里隔った町まで、父が存生の時に工賃の貸がある骨董屋へ、勘定を取りに行ったのであった。 七十・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・……「――絵解をしてあげますか……――読めますか、仮名ばかり。」「はい、読めます。」「いい、お児ね。」 きつね格子に、その半身、やがて、たけた顔が覗いて、見送って消えた。 その草双紙である。一冊は、夢中で我が家の、階・・・ 泉鏡花 「絵本の春」
・・・ 七 三枚ばかり附木の表へ、(一も仮名で書き、も仮名で記して、前に並べて、きざ柿の熟したのが、こつこつと揃ったような、昔は螺が尼になる、これは紅茸の悟を開いて、ころりと参った張子の達磨。 目ばかり黒い、けばけ・・・ 泉鏡花 「露肆」
汽車がとまる。瓦斯燈に「かしはざき」と書いた仮名文字が読める。予は下車の用意を急ぐ。三四人の駅夫が駅の名を呼ぶでもなく、只歩いて通る。靴の音トツトツと只歩いて通る。乗客は各自に車扉を開いて降りる。 日和下駄カラカラと予の先きに三人・・・ 伊藤左千夫 「浜菊」
・・・ 下手くそな仮名文字だが、やッとその意だけは通じている。さきに僕がかの女のお袋に尋ねて、吉弥は小学校を出たかというと、学校へはやらなかったので、わずかに新聞を拾い読みすることが出来るくらいで、役者になってもせりふの覚えが悪かろうと答える・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・金城鉄壁ならざる丸善の店が焼けるに決して不思議は無い筈だが、今朝焼けるとも想像していないから、此簡単な仮名七字が全然合点めなかった。 且此朝は四時半から目が覚めていた。火事があったら半鐘の音ぐらい聞えそうなもんだったが、出火の報鐘さえ聞・・・ 内田魯庵 「灰燼十万巻」
・・・筆を横に取って、仮名で、土佐言葉で書く。今あとで坂本さんが出て土佐言葉の標本を諸君に示すかも知れませぬ。ずいぶん面白い言葉であります。仮名で書くのですから、土佐言葉がソックリそのままで出てくる。それで彼女は長い手紙を書きます。実に読むのに骨・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・そしてそこここ、西洋菓子の間に詰めてあるカンナ屑めいて、緑色の植物が家々の間から萌え出ている。ある家の裏には芭蕉の葉が垂れている。糸杉の巻きあがった葉も見える。重ね綿のような恰好に刈られた松も見える。みな黝んだ下葉と新しい若葉で、いいふうな・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
出典:青空文庫