・・・そして意外な時に出て来て外界をのぞく事がある。たとえば郊外を歩いていて道ばたの名もない草の花を見る時や、あるいは遠くの杉の木のこずえの神秘的な色彩を見ている時に、わずかの瞬間だけではあるが、このえびの幻影を認める事ができる。それが消えたあと・・・ 寺田寅彦 「田園雑感」
・・・ 吾人が外界の事象を理解し系統化するための道具として、いわゆる認識の形式の一つとして「時」を見なす事には多くの科学者も異論はないであろうが、それだけでは「時」の観念の内容については何事も説明されない。近ごろベルグソンが出て来て、カントや・・・ 寺田寅彦 「時の観念とエントロピーならびにプロバビリティ」
・・・元来人間の命とか生とか称するものは解釈次第でいろいろな意味にもなりまたむずかしくもなりますが要するに前申したごとく活力の示現とか進行とか持続とか評するよりほかに致し方のない者である以上、この活力が外界の刺戟に対してどう反応するかという点を細・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
・・・花も春も余所に見て、只心の中に貯えたる何者かを使い尽すまではどうあっても外界に気を転ぜぬ様に見受けられた。武士の命は女と酒と軍さである。吾思う人の為めにと箸の上げ下しに云う誰彼に傚って、わがクララの為めにと云わぬ事はないが、その声の咽喉を出・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・今日も、椽側の硝子をすかし、眼を細くして外界の荒れを見物しているうちに、ふと、子供の時のことを思い出した。 二 子供というものはいつも珍しいことが好きなものだ。晴れた日が続く、一日、目がさめて雨が降っている・・・ 宮本百合子 「雨と子供」
・・・二人の愛のゆるがない調和が流れているけれども、はっきりと外界に向って目をみひらき、媚びるところの一つもない口元を真面目に閉じているイエニーの顔つきには、人生と真向きに立っている妻の毅然とした力が感じられる。 この写真はいつ何処でとられた・・・ 宮本百合子 「カール・マルクスとその夫人」
・・・ない――ここで、人として独立の自信を持ち得ない、持つ丈の実力を欠いている彼女は、何処かに遺っている過去の、殆ど習性にさえ成った日蔭の依頼主義の底力に押されて、非常に微細に、非常に滑っこく、自分の現状と外界の社会的事情との間に、何か連続をつけ・・・ 宮本百合子 「概念と心其もの」
・・・ 二月の海浜は、まして避寒地として有名でもない外海の浜はさびれていた。佐和子は、妹と並んで防波堤兼網乾し場の高いコンクリートのかげで、日向ぼっこをしていた。正月に、漁師たちが大焚火でもしてあたりながら食べたのだろう、蜜柑の皮が乾から・・・ 宮本百合子 「海浜一日」
・・・無批判で外界の刺戟に左右される事は恐ろしい事でございます。人が自分を殺すような事になります。 良いも悪いも米国仕込みは厭でございます。米国の持って居る不思議な、特殊な浅薄さをまで無条件に移植するのは、単に趣味の上から申した丈でも否なりと・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
・・・或者は、ゲーテの如く思索の横溢から或は又、外界と調和し得ぬ孤独な魂の 唯一の表現として人類は、多くの芸術を献げられて来た。さて、私は何で、一つの小説を書くのだろう、勿論、共通な、人間の、真に触れたい希望か・・・ 宮本百合子 「初夏(一九二二年)」
出典:青空文庫