・・・たとえば餓鬼道の苦しみは目前の飯を食おうとすれば飯の上に火の燃えるたぐいである。しかし人生の与える苦しみは不幸にもそれほど単純ではない。目前の飯を食おうとすれば、火の燃えることもあると同時に、又存外楽楽と食い得ることもあるのである。のみなら・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・つまり鬼界が島と云う所から、餓鬼の形容を使ったのです。なるほどその時の俊寛様は、髪も延びて御出でになれば、色も日に焼けていらっしゃいましたが、そのほかは昔に変らない、――いや、変らないどころではありません。昔よりも一層丈夫そうな、頼もしい御・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
・・・百姓の餓鬼だに畑のう大事がる道知んねえだな。来う」 仁王立ちになって睨みすえながら彼れは怒鳴った。子供たちはもうおびえるように泣き出しながら恐ず恐ず仁右衛門の所に歩いて来た。待ちかまえた仁右衛門の鉄拳はいきなり十二ほどになる長女の痩せた・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・紳士 餓鬼め、其奴か。侍女 ええ。紳士 相手は其奴じゃな。侍女 あの、私がわけを言って、その指環を返しますように申しますと、串戯らしく、いや、これは、人間の手を放れたもの、烏の嘴から受取ったのだから返されない。もっとも、烏に・・・ 泉鏡花 「紅玉」
・・・ と黄八丈が骨牌を捲ると、黒縮緬の坊さんが、紅い裏を翻然と翻して、「餓鬼め。」 と投げた。「うふ、うふ、うふ。」と平四郎の忍び笑が、歯茎を洩れて声に出る。「うふふ、うふふ、うふふふふふ。」「何じゃい。」と片手に猪口を・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・――いたずらな餓鬼どもめ。」 と、あとを口こごとで、空を睨みながら、枝をざらざらと潜って行く。 境は、しかし、あとの窓を閉めなかった。もちろん、ごく細目には引いたが。――実は、雪の池のここへ来て幾羽の鷺の、魚を狩る状を、さながら、炬・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・「餓鬼めが、畜生!」「おっと、どっこい。」「うむ、放せ。」「姐さん、放しておやり。」「危え、旦那さん。」「いや、私はまだその人に、殺されも、斬られもしそうな気はしない。お放し。」「おお、もっともな、私がこの手を押・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・と、奥へ注意してから、「女房は弱いし、餓鬼は毎日泣きおる、これも困るさかいなア。」「それはお互いのことだア。ね」と、僕が答えるとたん、から紙が開いて、細君が熱そうなお燗を持って出て来たが、大津生れの愛嬌者だけに、「えろうお気の毒さま・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・……赤んぼがほしいが聞いて呆れら、自分の餓鬼ひとりだって傍に置いたこともないくせに……」「………」自分の拳固が彼女の頬桁に飛んだ。…… ほとんど一カ月ぶりで、二時過ぎに起きて、二三町離れたお湯へ入りに行った。新聞にも上野の彼岸桜・・・ 葛西善蔵 「死児を産む」
・・・「餓鬼らめが、くそッ! どこへうせやがったんだい! ド骨を叩き折って呉れるぞ!」番人は樫の棒で、青苔のついた石を叩いた。 口ギタなく罵る叫びは、向うの山壁にこだました。そして、同じ声が、遠くから、又、帰って来た。「貧乏たれの餓鬼・・・ 黒島伝治 「浮動する地価」
出典:青空文庫