・・・ひとを、どんなひとをも、蔑視したがる傾向が在る。ひとが何かいうと、けッという奇怪な、からす天狗の笑い声に似た不愉快きわまる笑い声を、はばからず発するのである。ゲエテ一点張りである。これとても、ゲエテの素朴な詩精神に敬服しているのではなく、ゲ・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・出来たからって、えらがるのは、沙汰の限りだ。こう思うと、頗る愉快になって来た。 その時銀行員は戸を叩いた。ポルジイは這入らせはしたが、ちょっと誰だったか、何の用で来させたかと云うことを忘れて、ようよう思い出した。それからは頗る慇懃に待遇・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・兵、兵といって、筋が少ないとばかにしやがる。金州でも、得利寺でも兵のおかげで戦争に勝ったのだ。馬鹿奴、悪魔奴! 蟻だ、蟻だ、ほんとうに蟻だ。まだあそこにいやがる。汽車もああなってはおしまいだ。ふと汽車――豊橋を発ってきた時の汽車が眼の前・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・科学的な客観的な言葉を用いたがる現代人は「空気がちがって来た」というのである。一と月後には下の平野におとずれるはずの初秋がもうここまで来ているのである。 沓掛駅の野天のプラットフォームに下りたった時の心持は、一駅前の軽井沢とは全く別であ・・・ 寺田寅彦 「浅間山麓より」
・・・ ……それで仲間の奴等時々私を揶揄いやがる。息子が死んでも日本が克った方がいいか、日本が負けても、子息が無事でいた方が好いかなんてね。莫迦にしてやがると思って、私も忌々しいからムキになって怒るんだがね。」 悼ましい追憶に生きている爺・・・ 徳田秋声 「躯」
・・・家庭が貧しくて、学校からあがるとこんにゃく売りなどしなければならなかった私は、学校でも友達が少なかったのに、林君だけがとても仲よくしてくれた。大柄な子で、頬っぺたがブラさがるように肥っている。つぶらな眼と濃い眉毛を持っていて、口数はすくない・・・ 徳永直 「こんにゃく売り」
・・・けれどもそういう明い晴やかな場所へ意気揚々と出しゃばるのは、自分なぞが先に立ってやらずとも、成功主義の物欲しい世の中には、そういう処へ出しゃばって歯の浮くような事をいいたがる連中が、あり余って困るほどある事を思返すと、先生はむしろ薄寒い妾宅・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・ 一 夢 百、二百、簇がる騎士は数をつくして北の方なる試合へと急げば、石に古りたるカメロットの館には、ただ王妃ギニヴィアの長く牽く衣の裾の響のみ残る。 薄紅の一枚をむざとばかりに肩より投げ懸けて、白き二の腕さえ明・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・「常に孤独で居る人間は、稀れに逢う友人との会合を、さながら宴会のように嬉しがる」とニイチェが云ってるのは真理である。つまりよく考えて見れば、僕も決して交際嫌いというわけではない。ただ多くの一般の人々は、僕の変人である性格を理解してくれないの・・・ 萩原朔太郎 「僕の孤独癖について」
・・・ 此蛞蝓野郎、又何か計画してやがるわい。と私は考えた。幽霊じゃあるまいし、私の一足後ろを、いくらそうっと下りたところで、音のしない訳がないからだ。 私はもう一度彼女を訪問する「必要」はなかった。私は一円だけ未だ残して持っていたが、そ・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
出典:青空文庫