・・・とかく柔弱たがる金縁の眼鏡も厭味に見えず、男の眼にも男らしい男振りであるから、遊女なぞにはわけて好かれそうである。 吉里が入ッて来た時、二客ともその顔を見上げた。平田はすぐその眼を外らし、思い出したように猪口を取ッて仰ぐがごとく口へつけ・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・だから人が文学や哲学を難有がるのは余程後れていやせんかと考えられる。第一其等が有難いと云うな、偽の有難いんだ。何となれば、文学哲学の価値を一旦根底から疑って掛らんけりゃ、真の価値は解らんじゃないか。ところが日本の文学の発達を考えて見るに果し・・・ 二葉亭四迷 「私は懐疑派だ」
・・・俳句を知らぬ人が富士の句を見ると非常に嬉しがるのと、我々が富士の画を見ると何かなしに喜ぶのと、同じ事であるという事が分って、始めて眼が明いたような心持であった。けれどもまだ日本画崇拝は変らないので、日本画をけなして西洋画をほめられると何だか・・・ 正岡子規 「画」
・・・「済まないが税金がまたあがる。今日は少うし森から、たきぎを運んでくれ」オツベルは房のついた赤い帽子をかぶり、両手をかくしにつっ込んで、次の日象にそう言った。「ああ、ぼくたきぎを持って来よう。いい天気だねえ。ぼくはぜんたい森へ行くのは・・・ 宮沢賢治 「オツベルと象」
・・・ だからものを考える、というといつでも何かむずかしい題がつくようなことを、いかめしく考えなければならないように思って少し世馴れて来ると、考えるということを面倒くさがるのが、わたしたち、特に日本人の癖です。考えたってはじまらない。よくそう・・・ 宮本百合子 「朝の話」
・・・によって日本の文学のために極めて意義ふかい発足を行い、ゴーゴリ、ゴーリキイ、ガルシン、アンドレーエフなどの作品を翻訳紹介しつつ三十九年には「其面影」四十年には「平凡」と創作の業績を重ねながら、目前の日本文学一般がおくれていることへの不満のは・・・ 宮本百合子 「生活者としての成長」
・・・それに何事も一人で考えて、一人でしたがる。相談というものをめったにしない。それで弥五兵衛も市太夫も念を押したのである。「兄いさま方が揃うておいでなさるから、お父っさんの悪口は、うかと言われますまい」これは前髪の七之丞が口から出た。女のよ・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・「泣きやがるな!」「何にッ!」 秋三は人々を振り切った。そして、勘次の胸をめがけて突きかかると、二人はまた一つの塊りになって畳の上へぶっ倒れた。酒が流れた。唐の芋が転がった。「抛り出せ。」「なぐれ。」「やれやれ。」・・・ 横光利一 「南北」
・・・現代に題材を取っても、できるだけ詩的な、現代離れのしたものを選みたがる日本画家の中にあっては、確かに注目に価することに相違ない。第四に構図と色彩とが成功である。左右から内側へ曲げられた女の姿勢と、窓や羽目板の垂直の線と、浴槽の水平線と、――・・・ 和辻哲郎 「院展遠望」
出典:青空文庫