・・・それから、籐椅子に尻を据えて、勝手な気焔をあげていると、奥さんが三つ指で挨拶に出て来られたのには、少からず恐縮した。 すると、向うの家の二階で、何だか楽器を弾き出した。始はマンドリンかと思ったが、中ごろから、赤木があれは琴だと道破した。・・・ 芥川竜之介 「田端日記」
・・・それゆえ始めの間の論駁には多くの私の言説の不備な点を指摘する批評家が多いようだったが、このごろあれを機縁にして自己の見地を発表する論者が多くなってきた。それは非常によいことだと思う。なぜならばあの問題はもっと徹底的に講究されなければならない・・・ 有島武郎 「想片」
・・・とにかく自分の現在の生活が都合よくはこびうるならば、ブルジョアのために、気焔も吐こうし、プロレタリアのために、提灯も持とうという種類の人である。そしてその人の芸術は、当代でいえば、その人をプティ・ブルジョアにでも仕上げてくれれば、それで目的・・・ 有島武郎 「広津氏に答う」
・・・政公の気焔が最後に振っている。「おらも婿だが、昔から譬にいう通り、婿ちもんはいやなもんよ。それに省作君などはおとよさんという人があるんだもの、清公に聞かれちゃ悪いが、百俵付けがなんだい、深田に田地が百俵付けあったってそれがなんだ。婿一人・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・下サイ久シクオ目ニカカリマセヌガ、コレハアナタニバカリデナク、ドナタニモ同ジコトデ、先日チョット露伴君ヲタズネマシタノサエ二年ブリト申スヨウナ訳デス、昔ハ御機嫌伺イトイウ事モアリマシタガ、今デハ御気焔伺イデスカラ、蛙鳴ク小田原ッ子ノ如キ・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・東海道の鉄道さえが未だ出来上らないで、鉄道反対の気焔が到る処の地方に盛んであった。 二十五年前には思想の中心は政治であった。文学が閑余の遊戯として見られていたばかりでなく、倫理も哲学も学者という小団体の書斎に於ける遊戯であった。科学の如・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・服する果して何の術ぞ 工夫ただ英雄を攪るに在り 『八犬伝』を読むの詩 補 姥雪与四郎・音音乱山何れの処か残燐を吊す 乞ふ死是れ生真なりがたし 薄命紅顔の双寡婦 奇縁白髪の両新人 洞房の華燭前夢を温め ・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・ 全く自ら筆を操る事が出来なくなってからの口授作にも少しも意気消沈した痕が見えないで相変らずの博引旁証をして気焔を揚げておる。馬琴の衒学癖は病膏肓に入ったもので、無知なる田夫野人の口からさえ故事来歴を講釈せしむる事が珍らしくないが、自ら・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・と畑水練の気焔を良く挙げたもんだ。 果然革命は欧洲戦を導火線として突然爆発した。が、誰も多少予想していないじゃないが余り迅雷疾風的だったから誰も面喰ってしまった。その上、東京の地震の火事と同様、予想以上に大きくなったのでいよいよ面喰って・・・ 内田魯庵 「二葉亭追録」
・・・「既報“人生紙芝居”の相手役秋山八郎君の居所が奇しくも本紙記事が機縁となって判明した。四年前――昭和六年八月十日の夜、中之島公園の川岸に佇んで死を決していた長藤十吉君を救って更生への道を教えたまま飄然として姿を消していた秋山八郎君は、そ・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
出典:青空文庫