・・・私はズルチンの危険を惧れる気持は殆んどなかった。 私たちはもうズルチンぐらい惧れないような神経になっていたのか。ズルチンが怖いような神経ではもう生きて行けない世の中になっているのか。 千日前へ行くたびに一度あの娘の地蔵へ詣ってやろう・・・ 織田作之助 「神経」
・・・の客のように抓って見たところで、ごく稀にしか悲鳴を発しないのである。こんなところから、猫の耳は不死身のような疑いを受け、ひいては「切符切り」の危険にも曝されるのであるが、ある日、私は猫と遊んでいる最中に、とうとうその耳を噛んでしまったのであ・・・ 梶井基次郎 「愛撫」
・・・』『危険危険遅いから。』『吉さんにいっしょに行ってもらいます。』『そんならいいけれども。』 さアと促されて吉次も仕方なく連れだって行けば、お絹は先に立ち往来を外れ田の畔をたどり、堤の腰を回るとすぐ海なり。沖はよく和ぎて漣の皺・・・ 国木田独歩 「置土産」
・・・実際イデアリストの道は危険の道であり、私自身恋愛のために学生時代にひどい傷をつくって、学業も半ばに捨て、一生つづく病気を背負ったような始末である。私は青年学生に私の真似をせよと勧める勇気はもとより持っていない。しかしそれだからといって、学業・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・ 彼は、これまでに、しばしば危険に身を曝したことを思った。 弾丸に倒れ、眼を失い、腕を落した者が、三人や四人ではなかった。 彼と、一緒に歩哨に立っていて、夕方、不意に、胸から血潮を迸ばしらして、倒れた男もあった。坂本という姓だっ・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・そこで、一文にもならないのならば、彼等は棄権する。二里も三里もを往って帰れば半日はつぶしてしまうからだ。 金を貰えば、それは行く。五十銭でもいゝ。只よりはましだ。しかし、もっとよけい、二円でも三円でも、取れるだけ取っておきたい。取ってや・・・ 黒島伝治 「選挙漫談」
・・・その代りまた危険も生じます訳で、怖しい話が伝えられております。海もまた同じことです。今お話し致そうというのは海の話ですが、先に山の話を一度申して置きます。 それは西暦千八百六十五年の七月の十三日の午前五時半にツェルマットという処から・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・それが有形無形の自分の存在に非常の危険を持ち来たす。あるいは百年千年の後には、その方が一層幸福な生存状態を形づくるかも知れないが、少なくともすぐ次の将来における自己の生というものが威嚇される。単身の場合はまだよいが、同じ自己でも、妻と拡がり・・・ 島村抱月 「序に代えて人生観上の自然主義を論ず」
・・・たとえば、これまで深川の貧民たちのために尽力していた、富田老巡査のごときは、火の危険な街上にしまいまで立ちつくして、みんなを安全な方向ににがし/\したあげく、じぶんはついに焼け死んでしまいました。また、下谷から焼け出された或四十がっこうの一・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・この夫婦は既に述べたとおり、手荒なことはもちろん、口汚く罵り合った事さえないすこぶるおとなしい一組ではあるが、しかし、それだけまた一触即発の危険におののいているところもあった。両方が無言で、相手の悪さの証拠固めをしているような危険、一枚の札・・・ 太宰治 「桜桃」
出典:青空文庫