・・・ 第四角まで後方の馬ごみに包まれて、黒地に白い銭形紋散らしの騎手の服も見えず、その馬に投票していた少数の者もほとんど諦めかけていたような馬が、最後の直線コースにかかると急に馬ごみの中から抜け出してぐいぐい伸びて行く。鞭は持たず、伏せをし・・・ 織田作之助 「競馬」
・・・二十世紀の旗手どのは、まず、行為をさきにする。健全の思念は、そのあとから、ぞろぞろついて来て呉れる。尼になるお光よりは、お染を、お七を、お舟を愛する。まず、試みよ。声の大なる言葉のほうが、「真理」に化す。ばか、と言われた時には、その二倍、三・・・ 太宰治 「二十世紀旗手」
・・・きみ、人その全部の努力用いて、わが妻子わすれむと、あがき苦しみつつ、一度持たせられし旗の捨てがたくして、沐雨櫛風、ただ、ただ上へ、上へとすすまなければならぬ、肉体すでに半死の旗手の耳へ、妻を思い出せよ、きみ、私め、かわってもよろしゅうござい・・・ 太宰治 「HUMAN LOST」
・・・それから、版画荘文庫の「二十世紀旗手」これは絶版になったようです。 しばらく休んで、一昨年あたりから多くなりました。紙の質も、悪くなりました。一昨年は、竹村書房から「愛と美について」砂子屋書房から「女生徒」女生徒は、ことしの五月に再版に・・・ 太宰治 「私の著作集」
・・・赤い服、白い袴、黒い長靴の騎手の姿が樹の間を縫うて嵐のように通り過ぎる。群を離れた犬が一疋汀へ飛んで来て草の間を嗅いでいたが、笛の音が響くと弾かれたように駆け出して群の後を追う。 猟の群が通り過ぎると、ひっそりする。沼の面が鏡のように静・・・ 寺田寅彦 「ある幻想曲の序」
・・・そこでダンサーに身の上話をさせることによって悪漢騎手の旧情夫の存在を観客に呑込ませる。そうして後に不利な証拠物件を提供するためにダンサーの指環を靴磨きに贈らせ、靴磨きの金鎚をその部屋に遺却させる。彼等のアパートにおける目撃者としてアパートの・・・ 寺田寅彦 「初冬の日記から」
・・・日本の左翼運動の退潮はインテリゲンツィアを或る意味で全面的に動揺させ帰趨を失わしめた。文学の仕事に従うインテリゲンツィアにもこのことは強烈に作用している。しかも日本には日本文学の伝統として、近代文学の確立と同時に文学者は一般官吏、実業家、軍・・・ 宮本百合子 「今日の文学の鳥瞰図」
・・・時代の知性の特色は帰趨を失った知識人の不安であるとされ、不安を語らざる文学、混迷と否定と懐疑の色を漉して現実を見ない文学は、時代の精神に鈍感な馬鹿者か公式主義者の文学という風になった。そして、この不安の文学の主唱者たちは、不安をその解決の方・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・当時のように、文学全体が帰趨を失い自主的な対象と方法とを見失っていたような時期、そこにある現実の特殊さへの関心と、政論的な作家の行動性から報告文学へとりつかれたとしても、そこに文学として得るものが多くなかったのは、現実の必然の結果であったと・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
・・・今日ではすべての人が、自分の運命が日本人民全体の運命の帰趨にかかっていることを発見している。一つの孤立した才能がそれ一つだけではどんなに萎靡するものであるかということは、最近の志賀直哉の文学的態度を見てもわかる。彼は日本のブルジョアリアリズ・・・ 宮本百合子 「前進的な勢力の結集」
出典:青空文庫